鉄道の路線ができる理由は、人と物を運ぶため。現在は通勤新線が多くなりましたが、昔は地場産業の品物を市場や港に運ぶためや、参拝者の多い神社仏閣へ向かう人を運ぶため、多くの鉄道路線が開業しました。お正月ということもあり、神社仏閣への参拝客を運ぶことからスタートした関東の鉄道路線をいくつかご紹介しましょう。

■ 日本初の地下鉄は初詣に合わせて開業した?

 日本初の本格的な地下鉄として、1927年に浅草〜上野の区間で開業した東京メトロ銀座線。開業日となったのは、暮れも押し詰まった12月30日のこと。通常、新しい鉄道路線の開業日というのは、年度が改まる3月や4月、または秋の9月や10月というケースがほとんどですから、銀座線の開業日はちょっと変わっています。

 銀座線の開業を計画した東京地下鉄道(現:東京メトロ)の早川徳次は、地下鉄という初期投資額の大きな鉄道路線を作るにあたり採算面を考慮し、東京で人の往来が多い区間に狙いを絞りました。地道な交通量調査をして考え出されたルートは、浅草寺の門前町としての繁華街がありながら鉄道駅から離れている浅草から、ターミナル駅である上野を結ぶことと、当時鉄道路線がつながっていなかった上野と新橋・品川方面を結ぶというもの。

 1917年の路線免許出願当時は、高輪南町(現在の品川駅周辺)〜浅草公園広小路(現在の雷門通り)と、車坂(現在のJR上野駅周辺)〜南千住町という2つのルートが構想されていました。車坂〜南千住町のルートは工事の予定が立たず1924年に失効し、高輪南町〜浅草の第1期区間として、上野〜浅草での工事が1925年9月に始まっています。

 2年余りの工期を経て開業となった東京地下鉄道。この頃には「初詣」という正月行事が定着しつつあり、有名な寺社への参拝客が増えていました。12月30日という変わった日付に開業したのは、12月31日から正月3が日にかけての初詣客を当て込んだものといえるでしょう。東京メトロ浅草駅の4番出入口は、寺社仏閣風のデザインとなっている(設計:今井謙次)のも特徴です。

 実際、開業当初は物珍しさもあり、上野駅から浅草まで歩いても20〜30分という距離の地下鉄に、乗車待ちの長い行列ができたといいます。筆者の祖母も開業当初の地下鉄に、1時間以上並んで乗車したという思い出を語ってくれたことがありました。これにより、新しい「地下鉄」という乗り物を多くの人に知らしめる効果もあったものと思われます。

■ 参拝客輸送のため開業した関東の鉄道路線

 お話は前後しますが、神社仏閣への参拝客を当て込んだ鉄道路線は明治の頃からありました。関東で最初に電車を走らせたことで知られる大師電気鉄道(現在の京急大師線)は、1899年1月21日に旧東海道川崎宿の北にあった六郷の渡し(現:六郷橋駅付近)から、川崎大師こと平間寺の門前を結ぶ路線として開業しています。

 また、現在は羽田空港への路線として知られている京急空港線も、元々は羽田空港の場所にあった穴守稲荷神社(戦後に現在地へと移転)への参拝客を運ぶため、現在の京急蒲田駅から分岐する形で1902年に「穴守線」として開業したもの。当時は海岸で潮干狩りもでき、温泉も湧出したためレジャーの場所としても有名でした。

 また、日本鉄道土浦線(現:JR常磐線)の金町駅から、柴又帝釈天(題経寺)への参拝客を運ぶために1899年に開業したのが、帝釈人車鉄道(現:京成金町線)。当初は小さな車両を人力で動かす「人車」という形式でしたが、1912年に京成電鉄(当時は京成電気軌道)の路線となった翌1913年、電化されて電車が走るようになりました。

 この金町線を吸収した京成電鉄も、成田山新勝寺と東京を結んで参拝客を運ぶことを目的に設立された会社。社名は東京と成田を結ぶことに由来しています。

 京成電鉄は1924年にも、現在の京成成田駅付近から新勝寺の門前までを結んでいた路面電車、成宗電気軌道(現:千葉交通)を傘下に収めています。成宗電気軌道の「成宗」とは、成田山と講談・歌舞伎の「佐倉義民伝」で知られる佐倉惣五郎(通称:佐倉宗吾)の霊が祀られている宗吾霊堂(東勝寺)とを結ぶことを意味しています。

 成田山は江戸時代から人々に親しまれており、江戸からは「成田街道」と呼ばれる参拝路が複数存在していました。このうち、市川宿から成田に至る成田街道に沿って開業したのが現在のJR総武線・成田線、また水戸街道の我孫子宿から利根川沿いに進む街道に沿って開業した鉄道路線も、現在のJR成田線(通称:我孫子支線)となっています。

 近畿地方では京都、大阪、神戸と大都市が比較的集まっていたため、それらを結ぶ都市間鉄道(インターアーバン)路線として阪神、阪急、京阪といった鉄道会社が誕生しました。しかし東京に一極集中していた関東では、都市間連絡よりも東京(江戸)と外にある神社仏閣や、産業のある土地を結ぶ形で鉄道路線が誕生しているのが特徴といえます。

■ 初詣の文化を広めた鉄道

 
 地場産業の品物を大消費地や港へ運ぶ鉄道は別として、人を運ぶことを目的に開業した鉄道会社の場合、多くの人に利用されることが経営安定の鍵。ここで神社仏閣への参拝客を運ぶ鉄道各社は、元日に氏神神社に参拝する「元日詣」という習慣に目をつけます。

 元々は居住地の氏神や、その年の縁起の良い方角(恵方)にある神社に参拝(恵方詣)する風習だったのですが、各鉄道会社は「どうせなら脚を伸ばして、有名な神社仏閣に参拝してみませんか。我が社の鉄道路線を使うと便利に行けますよ」という形でキャンペーンを始めたのです。これとともに、参拝客用に特別な列車を運行し、さらに利便性を高めようという取り組みもなされるようになりました。

 よく知られているのが京成電鉄の「開運」号。2021年も「シティライナー(成田山開運号)」として、スカイライナーで使用されているAE形車両に、初代以来成田山への信心があつく屋号も「成田屋」となっている歌舞伎の市川團十郎にちなんだ隈取のヘッドマークを掲出し、1月の土曜・休日ダイヤ実施日に1往復が運行される予定です。

 鉄道の発達により「初詣」の文化が生まれ、その需要を満たすため始まったのが大晦日の終夜運転。新型コロナウイルスの感染拡大により、2020年の大晦日は終夜運転が取り止められ、初詣も混雑を避けるよう要請されています。オンラインでの「ネット参拝(遥拝)」を実施する神社仏閣もあり、ひょっとしたら新たな文化が生まれる年になるかもしれません。

<参考>
京成電鉄ニュースリリース「年末年始は臨時ダイヤで運転します

(咲村珠樹)