1944年6月6日、フランス北部ノルマンディ地方から侵攻し、パリ解放を目指すアメリカ、イギリスなど連合国軍「オーバーロード作戦」の一環として、俗にノルマンディ上陸作戦と呼ばれる「ネプチューン作戦」が実行されました。2019年は4分の3世紀となる75周年記念の年。おそらく今回が、当時作戦に参加した元将兵が存命のうちにやってくる最後の大きな節目となるでしょう。このため6月5日と6日、犠牲者を悼むイベントが海峡を挟んだイギリスとフランスで開催され、関係各国の首脳のほか、当時作戦に参加した元将兵らが参列して、作戦の犠牲者らを追悼しました。

 2019年6月5日、上陸部隊を乗せた艦船が出港したイギリスのポーツマスで、上陸作戦75周年を記念した式典が開催されました。出席したのはイギリスのエリザベス女王をはじめとする王室の方々とメイ首相、イギリス訪問中のアメリカのトランプ大統領、フランスのマクロン大統領、イギリス連邦の一員として作戦に参加したカナダのトレドー首相、そして戦争相手だったドイツのメルケル首相の姿も。75年前は銃弾や砲弾が飛び交う関係だった国同士の指導者が、過去を清算しともに式典に出席できるというのは素晴らしいことだといえるでしょう。




 式典でエリザベス女王は、次のようなお言葉を述べました。

 私が上陸作戦60周年の式典に出席した際、このような式典はこれが最後になってしまうだろうと思っていました。しかし私を含む戦争世代は、まだ健在であり、今日ポーツマスでみなさんにお目にかかれて、大変光栄に思っています。75年前、何十万人もの若い兵士たちが自由のため、この地を後にしました。当時、全国放送で私の父、ジョージ6世国王はこのように述べました。「我々は今少しの勇気と忍耐を必要としている。もう一度心を奮い立たせよう……」この言葉で勇気ある人々が戦地に赴き、その人々の犠牲の上に、今日が成り立っているのです。彼らの多くが戻ってはきませんでした。しかしその亡くなった人々のヒロイズム、勇気を忘れることはないでしょう。ここに心から感謝を述べたいと思います。

 式典ではイギリス空軍「バトル・オブ・ブリテン・メモリアル・フライト」で動態保存されているホーカー・ハリケーンとスピットファイア、そしてレッドアローズのフライパスも行われました。



 翌6月6日、上陸地点であるフランス、ノルマンディ地方で追悼の式典が行われました。イギリス軍部隊が上陸したアロマンシェの「ゴールド・ビーチ」では、ノルマンディ上陸作戦慰霊碑でイギリスのメイ首相とフランスのマクロン大統領が出席して追悼式典が行われました。


 海岸では当時を再現する美術作品の展示や、リアクトメント(再現)と呼ばれるイベントも開催され、当時の軍用車両や個人装備をまとった人々が、当時の戦闘を想像する手がかりを来場者に提供していました。また、犠牲者を示す小さな十字架も多数、砂浜に立てられています。このアロマンシュの海岸には、作戦当時に使用された対空機銃の台座などが今も残っており、近くには作戦の資料を展示したアロマンシュ上陸博物館もあります。






 また、上陸したイギリス軍部隊が最初に奪取したバイユーの教会では、チャールズ皇太子らが参列し、上陸作戦の戦没者を追悼するミサも行われました。


 ミサのほか、戦没者霊園へ続く道のりを当時作戦に参加した将兵らが歩く行事も行われました。歩くとはいっても、作戦から75年が過ぎた今となっては、元将兵らは90歳以上。多くは車椅子での参加となっています。


 戦没者霊園で行われた式典では、イギリスのチャールズ皇太子が献花を行なっています。




 上陸作戦に際し、後方からドイツ軍守備隊を撹乱するために実施された空挺作戦。これを再現して犠牲者を追悼するイベントも実施されました。当時と同じように、イギリス空軍「バトル・オブ・ブリテン・メモリアル・フライト」のダコタ(C-47輸送機のイギリス軍での名称)から、イギリス陸軍の空挺部隊が落下傘で降下します。


 このほかにも、ノルマンディ各地で追悼の式典が行われました。アメリカ軍の戦没者霊園があるコルヴィル・シュル・メールでは、フランス空軍とアメリカ空軍による編隊フライパスが行われました。

 作戦から100周年となる2044年には、おそらく作戦に参加した将兵が存命でいることはないでしょう。今回の75周年が最後の大きな節目と言えそうです。第二次大戦の記憶を風化させないために、これから若い世代にどう伝えていくかというのは、各国共通の課題といえるかもしれません。

<出典・引用>
イギリス王室 プレスリリース
イギリス国防省 プレスリリース
フランス空軍 プレスリリース

Image:Crown Copyright 2019/DR

(咲村珠樹)