かつて世界中の空を飛んだ名旅客機、ダグラスDC-3。実質的に世界で初めての本格的な旅客機であり、日本でも日本航空や全日空が草創期に使用していたことでも知られています。現在スイスの時計メーカー、ブライトリングのDC-3が世界一周ツアーを実施しており、その一環として日本各地で飛行するため日本にもやってきます。

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DC-3はダグラス・エアクラフト(現ボーイング)によって開発されたプロペラ旅客機で、1935年12月17日に原型機が初飛行。アメリカン航空が注文した最初の生産型は、DST(Douglas Sleeper Transport)というオール寝台(座席ではなく、通路を挟んで寝台列車のようにベッドが並んでいる)仕様というものでした。ほどなくして通常座席仕様のDC-3が登場し、以後はこちらが主力となります。

旅客機型だけでなく、第二次世界大戦中は軍用輸送機型Cー47スカイトレイン(イギリスは「ダコタ」の名称で採用)も作られ、1945年の生産終了まで、アメリカ以外でのライセンス生産分を含めた総生産数は1万6000機を超えます。

日本でも戦前にライセンスを取得し、昭和飛行機が生産した、海軍の零式輸送機(原設計の単位に使われていたヤード・ポンド法を日本のメートル法に直し、三菱の金星エンジンを搭載した為に、寸法や性能が一部異なる)があり、戦争中に敵味方双方で使われたという珍しい経歴を持つ機種です。

(Photo: Breitling SA)

(Photo: Breitling SA)

今回日本にやってくるブライトリングのDC-3(HB-IRJ)は、1940年3月9日に初飛行し、同月12日付でアメリカン航空に納入されたDC-3-277Bで、製造番号2204。アメリカン航空時代はNC25658「フラッグシップ・クリーブランド」として就航していました。

第二次世界大戦中の1942年4月4日から1944年4月1日まではアメリカ陸軍に徴用され、同様に徴用された138機とともに、軍の輸送機として使用されました。

アメリカン航空に返却された後、1949年2月24日付でトランス・テキサス(後のテキサス・インターナショナル)航空に売却。その後1971年12月16日付でプロバンスタウン・ボストン航空(PBA)に移籍。1987年にイースタン・エクスプレス、1988年にバー・ハーバー航空、1992年にシャンプレーン・エアに移籍した後、2008年に現在のオーナーである「スーパーコンステレーションフライヤー協会」が購入。スポンサーであるブライトリングのカラーにして、2009年にスイス国籍のHB-IRJとして再登録されました。

ブライトリングのジラルダン副社長(左)とDC-3のアグーロ機長(右)/Photo: Breitling SA

ブライトリングのジラルダン副社長(左)とDC-3のアグーロ機長(右)/Photo: Breitling SA

今回のワールドツアー(世界一周飛行)は、同機が初飛行した3月9日にスイスのジュネーブを出発し、中東、東南アジアを経由して日本へやってきます。日本からは太平洋を横断してアメリカへ渡り、アメリカ大陸からグリーンランドを経由して大西洋を横断し、9月17日にスイスへ帰着するスケジュール。2017年4月14日現在はシンガポールのセレター空港で機体のチェックと整備を受けており、4月21日にマレーシアのコタキナバルに向けて出発する予定です。

ブライトリングDC-3ワールドツアー行程マップ(Breitling SA)

ブライトリングDC-3ワールドツアー行程マップ(Breitling SA)

4月14日時点での、日本でのフライト・展示スケジュールは、熊本地震、阪神淡路大震災、東日本大震災の被災地を中心に

4月30日:熊本県(阿蘇・熊本城上空)
5月5日:岩国航空基地フレンドシップデーに招待展示参加
5月19~21日:神戸市上空
5月26・27日:福島県(中通り・会津)上空
6月3・4日:レッドブル・エアレース(千葉市幕張)

が予定されていますが、これ以外にも実施される可能性がありますので、最新情報は公式フェイスブックページをチェックすることをお勧めします。

(Photo: Breitling SA)

(Photo: Breitling SA)

日本の空を飛ぶのは、民間定期航空路線のDC-3としては、長崎航空が運航を終了した1967年11月以来50年ぶり(1970年まで伊藤忠航空が事業用に使用)。輸送機型も含めると、アメリカ海軍から海上自衛隊に供与されたR4D-6(C-47の海軍版)が退役した1972年10月以来45年ぶりとなります。およそ半世紀ぶりとなる「日本の空をゆくDC-3」の姿を目にする貴重な機会。お近くを飛行する際は是非お出掛けになってみてください。

(咲村珠樹)