全国に数ある方言の中でも、特に難解とされる「鹿児島弁」。先日「あげぽよ」「さげぽよ」が、実は「鹿児島弁起源」という話題がネットで注目を集めていました。

 筆者は生まれも育ちも生粋の鹿児島人ですが……実はこの話、一度も耳にしたことがありません。編集部にいる他の鹿児島出身者にも聞いてみましたが、一度も聞いたことがないそうです。はて?

■ 「あげぽよ」「さげぽよ」は2010年のギャル流行語大賞ワード

 そもそも「あげぽよ」「さげぽよ」についてですが、この言葉は2008年~2010年ごろ若者の間で流行した言葉として知られています。

 テンションが上がっている状態、および下がっている状態のことを指し、かつてGRP(ギャル・リサーチ・プレス)が主催した「ギャル流行語大賞」において第1位に輝いたことも。当時はテレビ等を通して本当に良く耳にしたものです。

 つまり、当時のギャルたちが考え、発信したものが全国的に広まった……というのが、自然な考え方ですが……その中に薩摩の血がたぎっていたギャルでもいたのでしょうか?

■ ウワサの根拠は書籍「鹿児島弁辞典」

 今回ネットで話題になったウワサの発信源をたどってみたところ、出てきたのは一冊の本。書籍のタイトルは「鹿児島弁辞典」(南方新社)なるもので、発行は2012年。

「鹿児島弁辞典」(南方新社)

 そしてネットで話題になるようになったのは、一般の方が2018年にX(当時はTwitter)にてこの書籍を紹介したことがどうやら発端。投稿には辞典の中身が一部写真で掲載されており、確かに「あげぽよ」「さげぽよ」が鹿児島弁として収録されているようです。

 Xに投稿されていた画像によると、「上気」および「気落ち」の感情を指しているとのことで、意味としても現代のそれとピッタリ一致しています。

 後に、その画像だけが無断転載を繰り返され、不定期に「あげぽよ、さげぽよは鹿児島弁起源説」がSNSを通じて流れている、というのが現在までの流れ。

 なお、写真だけでは、改変や合成の可能性もあるため、念のため実物を取り寄せてみたところ……なんと本当に書かれていました。この書籍こそが情報のソースである、ということに関しては正しいようです。

【「鹿児島弁辞典 第二部 鹿児島弁から標準語へ」より引用】

・あげぽよ 上気 皆と会えて上気(あげぽよ)-P288

・さげぽよ 気落ち 怒られて気落ち(さげぽよ)-P382

 また、ネット上には「【公式】鹿児島弁ネット辞典」なるサイトもあり、そこにも「あげぽよ」「さげぽよ」が登録されていることを確認。さらに音声データまで公開されています。このように各所で鹿児島弁として紹介されていることが、ウワサの信ぴょう性をより高めているのでしょう。

 だがしかし、筆者は周りから聞いたことがない……。

■ 鹿児島出身者に聞いたことがあるかXで呼びかけてみた

 辞典には載っているのに、聞いたことがない。こうした場合にはいくつかの理由が考えられます。

・かなり古い方言で現在では使われていない
・鹿児島の中でもごく限られた地域でのみ使われている
・何か別の方言と聞き間違えた

 編集部では恐らくこの3つのどれかではないかと、仮説をたてました。

 そこでまずは、筆者個人および、おたくま経済新聞のXアカウントにて、鹿児島出身者に対して質問を行ってみましたが……やはり鹿児島弁として実際に聞いたことがある、使ったことがあるという方は現れず。

 回答は広範囲からよせられ、島の方たちも協力してくださいましたが、みなさん首を捻るばかり。中には祖父、祖母世代にも聞いてくれたと言う人や、気になりすぎて地元の図書館に行き鹿児島弁に関する本を10冊調べたけれども、「鹿児島弁辞典」にしか載っていない……と教えてくださった方も。

 他にも寄せられた声の中には、編集部の仮説にある「聞き間違え」を同じく疑う人も。例として、次のように考察してくださいました。

「『あがっとよ』で、発音が『アゲドヨ』に近い、聞き慣れないとドがポに聞こえるかも」

「鹿児島人は文節の後ろを高く伸ばして発音するクセがある、と言っていたのを聞いたことあり。それは確かに『あ↓げ↓ぽ↓よ↑ー』の発音と似てるな、と」

 言われてみればそれっぽいですが……やはり、確証を得られるまでには至りませんでした。

 調査にご協力いただいた方には、この場を借りて改めてお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

■ 著者本人に直撃 結論は「鹿児島弁であるという確証なし」

 あれこれと考えたところで、答えは出ないため、これはもう書籍の著者に直接たずねてみるしかありません。書籍巻末に書かれていた連絡先に問い合わせてみると……なんとすぐに著者本人に繋がりました。

 「鹿児島弁辞典」の著者は「石野宣昭」さん。鹿児島県内で長く中学や高校の教職についていた方で、もちろん出身も鹿児島県。すでに退職してはいるものの、その後も非常勤講師として県内の高校で勤務していたそうです。

 突然の連絡にも関わらず、非常に快く応対してくれた石野さん。結論から言うと、「あげぽよ」「さげぽよ」が鹿児島弁である、という根拠は「明確にはない」とのこと。な……なんちな!

■ 高校の非常勤講師をしている際に生徒から聞いた言葉を収録した説が濃厚か

 詳しく聞くと、著書「鹿児島弁辞典」は、自らが耳にした言葉を中心に収録したもので、実際にはルーツが鹿児島弁でないものも含まれているそう。

 今回の「あげぽよ」「さげぽよ」についても、はっきりと覚えてはいないものの、おそらく「教員時代に生徒が話していたものでは」と、石野さん自身も推察しています。

 たしかに「あげぽよ」「さげぽよ」が流行した2008年~2010年ごろは、石野さんが高校の非常勤講師をしていた時期とちょうど重なります。

 つまり「流行に敏感な高校生らが、鹿児島弁独特のイントネーションで発した『あげぽよ』『さげぽよ』を聞き、『鹿児島弁っぽいな』とメモしておいたものを書籍に残した」……と、考えられるのではないでしょうか。

■ 実はこの本、辞典といいつつ「学術書ではない」

 辿り着いたのは意外過ぎる真実。そんな不確かな情報を書籍に載せるべきではない……という声も聞こえてきそうですが、あながちそういう訳でもありません。事実が書かれていない書籍などごまんとありますし、この書籍の前書きには「この辞典は学術書ではない」としたうえで、あくまで「方言と標準語を調べる便利帳として使って欲しい」と記されています。

 また、「方言の域に入れたほうがいいのか、標準語の中に入れたほうがいいのか判別しがたい言葉もある」「言葉とは社会を往来する生き物だから、場により、時により、人により多少の違いがあるように思う」「方言と思っている言葉が実は標準語であったものもある。そこはご容赦願いたい」といった一節も。

 こうした書籍の内容や、今回のインタビューを通して、少なくとも筆者には「言葉」や「方言」に対する、石野さんなりの哲学を感じ取りました。どちらかと言えば、書籍の内容の一部を切り取って、その部分だけを鵜呑みにすることの方に危うさを感じます。

 以上が今回の調査結果となりますが、念のためWebサイト「【公式】鹿児島弁ネット辞典」の編纂委員長や、サイト内で編集団体として紹介されていた「鹿児島弁検定協会事務局」にも連絡をしてみましたが、いずれも記事執筆までに回答を得ることは叶わず。

 サイト内に収録している言葉の出典や文献として、今回の石野さんの著書「鹿児島弁辞典」も挙げられていましたが、掲載や音声の収録に至った経緯をぜひ聞いてみたいところでした。もしかすると他の文献に載っているのかもしれませんし。
 とはいえ、現在ネットで話題になっている、「鹿児島弁辞典」を根拠にした「あげぽよ」「さげぽよ」が鹿児島弁説は、著者自ら根拠は「明確にはない」と回答している事だけは事実。

 今後新たに分かることがあれば、追記なりで続報していきたいと思います。

<記事化協力>
「鹿児島弁辞典」石野宣昭さん

<参考・引用>
GRP「ギャル流行語大賞2022
鹿児島弁ネット辞典

(山口弘剛)