年をとると、うっかり転んで骨折することも、それまでの無理がたたって病気で動けなくなることも、認知症が出たりすることも……。大体年のせいなのです。病院に入院後に自宅でそれまで通りの生活が無理な人も多く出てきます。そのためにあるのが老人施設。今回は一人の看護師(筆者)が出会った様々なお年寄りのエピソードをご紹介します。

■ 介護施設の看護師ってこんな感じ

 子どもを育てながら日勤でデイサービスを利用する人たちの健康管理や服薬状態の管理をするのが、筆者こと私の主な仕事……のはずでした。しかし、実際は利用者さんの検温と血圧の確認、服薬状態を一人ずつチェックする、入浴後の皮膚のケアがある利用者さんの処置を行うなど介護士では行うことができない医療的処置を行う。さらには、利用者さんが飲むお茶をいれたり、午後からのレクレーションの立案をするなど、介護士と同様な働きも求められていました。

 利用者さんの既往歴、現病歴、現在の状態、できることできないこと、認知症の重さなど、デイを利用する全ての人の状態を把握し、デイで利用者さんが求める事を提供していく……時には利用者さんの状態についてのカンファレンスを取り仕切ることも。

 1日に約40人近くが利用し、入浴サービスと昼食の提供を受け、集団体操に参加したり、必要な人には理学療法士によるリハビリも行っていたので、デイサービスではなく、デイケアというのが正しいのですが、リハビリを特にするわけでもなくても利用できる施設なので、大体やっていたことはリハビリ以外は他のデイサービスと同じ。

 送迎車から降りてきた利用者さんを席に誘導し、まずはお茶を出すのですが……。利用者さん同士の相性、麻痺などの障害や生活自立度に合わせて、前日に席を決めておかないと、当日は大混乱になることも。

 時には肺の疾患で酸素濃縮器を使わないといけない人も受け入れたり、酸素ボンベとともに出席する人もいるので、その辺の管理、時にはボンベの交換も行っていました。

 そんな訳で、私がいたデイではかなりのタスクを看護師も介護士とともにやってのけていました。

■ 喋る認知症、聞き役の認知症

 利用者さんの割合は大体男女半々でしたが、やはりよくしゃべるのは女性の方が多い感じでした。男性の利用者さんは、程々にしゃべる人、寡黙だけどここぞという時に声をあげることがある人、認知症でリミッター解除状態でセクハラする人(これは一人だけでしたが)、と、バラエティに富んだ面々。

 その中で、アルツハイマーの女性も数人いたのですが、Aさんは数分ごとに同じ話を延々と話し続ける、それはもう停止ボタンがきかない喋るプレイヤー状態。一方、同じアルツハイマーでも聞いたことを数秒で忘れてしまう人も。ちょっと控え目な性格で、どちらかというと聞き役に向いていた忘れる方のBさんは、少し気になることがあるとすぐに職員を呼び止めて色々と聞いてきます。それ自体は別に通常運転なので問題ないのですが、「もしかしたらこの二人……」とあることを思いついて実行してみました。それは、利用日が一致する曜日に席をいつも隣同士にすること。

 面白いことに、Aさんは隣のBさんを相手に延々と同じ話を繰り返しているにもかかわらず、聞き役の人も延々と同じ話に同じように相槌をうって、場が成り立ってしまったのです。周りの利用者さんの中には、体は丈夫だけど延々としゃべりまくるAさんに辟易していた人もいましたが、AさんとBさんの果てしないやり取りを見ていて感心する人も。

■ 「餅が食べたい」その一心で経管栄養を卒業した爺さん

 70代後半のCさんは、脳卒中の後遺症で飲み込むことが非常に困難になり、症状が安定するまで何度も誤嚥性肺炎を繰り返していた人。朝夕は栄養剤を胃に管を通して直接送り込む「胃ろう」で済ませていましたが、認知症の傾向はなく、まじめにリハビリを取り組む傍ら、昼食だけはデイで職員の付き添いのもと、ミキサーでドロドロにしたものを口に運び、飲み込みの練習をしていました。

 デイでも年中行事の一環で、お餅が食べられる人にはその人の状態に合わせて細かくしたものや、普通の団子サイズのものなどを用意して提供していました。老人施設のお餅は、管理栄養士が知恵を絞って完成させた、「もちもちしているけど飲み込む時にはほぐれやすい」というもの。もち米に普通のご飯を混ぜて炊き、つき加減も絶妙な具合にもちもちした状態。さすがに普通のお餅を焼いて出すなんてことは危険極まりないので、大概の高齢者に「これも餅だな」と思える程度に仕立ててありました。

 脳卒中を患って以降、Cさんはデイに来るまでは大好きだった餅を諦めてきました。しかし、長い入院の末、自宅介護となったCさんがある日デイで見たものは、おやつの時間に他の利用者さんが美味しそうに食べていた、お団子入りのお汁粉。

 元々団子入りの汁粉が好物だったCさん、「リハビリで胃の管が取れればアレ食えるのか?」と嚥下機能のリハビリを担当していた言語聴覚士に相談したところ「Cさん次第ですよ。今のミキサー食でもむせるくらいなら当然無理ですが、1日3食をとろみ付きできざみ食に食べられるくらいまで行けば、胃の管も抜けますし刻んだお団子もOKになります」

 俄然やる気がわいてきたCさん、当初はデイだけで食事形態を“極きざみとろみ付き”※にして様子を見ていましたが、ついに朝夕もデイと同じ状態でむせることも少なくなり、胃ろうを外すことができました。 ※註:食事の形態を指すことば。「粗きざみ、きざみ、極きざみ」など刻む細かさにレベルがあり、今回の場合は最も細かく刻む「極きざみ」に「とろみ」を付けるという意味です。なお、施設や病院によって表現が異なる場合があります。

 胃ろうというと、意識のない患者さんが生きながらえるために点滴に頼らずに栄養をとれる方法、だから胃ろうをつくったらもうご飯を食べることはできない……というイメージがあるかと思いますが、意識がはっきりしていて意志を伝えることができる患者さんには、胃ろうは食事ができるようになるまでリハビリを進めていくための「つなぎ」にもなりえる、という話でした。

■ 「青い山脈」からグループサウンズへ

 私はデイで約8年、看護職兼レクレーションクリエイターとして新しいレクを幾つか発案、導入してきました。デイではリハビリとは別に、理学療法士による集団体操もあるので、もっと体を動かしたい人向け、そこまで体力がないのでまったりレクを楽しむ人向けという感じで月ごとにレクの内容を組んでいきます。その中で特に好評だったのが、昭和歌謡のコーナー。最初は自分が知っている唱歌をメインにレクをしてみたところ、大した反応はありませんでした。

 しかし、デイには「懐かしの昭和の歌シリーズ」的なCD全集が。これは、かつてデイに通っていた人が看取られた際に、みんなで懐かしいあの頃を思い出してほしい、と故人の遺志で家族により寄贈されたもの。しかし、職員は戦後まもなく流行った曲なんて分からないので結局埋もれた状態に。

 デイに配属されて早々にこのCDを見つけた私、「何て宝の持ち腐れ!!」。そこで、仕事に慣れてきた頃を見計らって、脱衣所で普段何となく流れていたラジオからCDに変えてみました。浴室の方にも流れてくるようにプレイヤーを置き、しばらく利用者さんの反応を見ていると、「あの頃は大変だったわねぇ」「そうそう、配給がなかなか来んで」と、終戦直後の思い出話があちこちから聞こえてくるように。

 当時勤務し始めた時には、戦前・戦中派の多かった頃。終戦直後に流行った曲には多くの利用者さんの古い記憶を呼び覚まし、共通の話題として同じ時代を生きた者同士の語らいが増えたのです。そこでレクに「昭和歌謡の時間」を作り、歌詞カードを用意し、レクの時間に一緒に歌ってもらったところ、大盛り上がり。カラオケで同世代がみんな知っている曲を大合唱するような、あのノリがそこにあったのです。当時の最年長である100歳の利用者さんもニコニコして聞いていました。

 勤務している8年の間に、少しずつ世代も入れ替わってきました。終戦直後の歌は分からない世代が増え、グループサウンズ派とフォークソング派に分かれたり、若かりし頃の石原裕次郎の曲で男性陣が「憧れだったね、とにかくカッコよかった」と言えば女性陣も、「あの頃のハンサムの代表だったわ」と盛り上がったり。美空ひばりの少女時代の曲をかければ、「本当にいい人ほど早く逝くもんだねぇ」としみじみする人も。

 もう勤務していた頃から数年が過ぎてしまいましたが、今のデイを利用する高齢者の青春ソングは、おそらくまだグループサウンズかフォークソング、そして昭和40年代の演歌や歌謡曲あたりがハマりどころかもしれません。ふるさとに帰省した折に、親が健在であれば「青春時代、どんな歌が流行ったの?」って話のタネにもなるかもしれませんね。今ならスマホで曲を簡単に流すこともできますし。

 デイでのお仕事はドタバタでしたが、思い出話はまだまだ底をつきそうにありません……。印象深い思い出話は、またいつか。

(梓川みいな/正看護師)