評判の良い総合病院は、その周辺住民に頼りになる存在として何十年もの間存続しているところがあります。しかし老朽化が進んでくると、新しい医療機材を導入できず、建て増しに建て増しを行った結果、迷宮みたいな大病院が爆誕しているところも……。ここでは一看護師が体験した病院の大引っ越しの一部始終をお伝えしてみます。

■ 公害患者と呼吸器科につきものの人工呼吸器

 約20年前、当時看護師歴3年目だった筆者こと私。最初の病院は新卒で就職したものの、実母の大腸がんの看病などあって1年かそこらで離職。しばらくして母の病状も安定。再び看護師として就職したのは、その時の住居から近いところというだけで決めた総合病院でした。

 そこで呼吸器科病棟に配属された私。当時、私が住んでいた周辺は、昭和の高度成長期時代に大規模なバイパス開発や工場の林立など、空気汚染が多かった地域。学校の教科書には載っていなくても「四日市ぜんそく」並みには公害の激しい地域でした。

 公害に対する裁判で勝訴を勝ち取った周囲の住民からは、公害外来のある病院として厚い信頼を受けていました。しかし、公害によってぜん息・じん肺・COPDなど呼吸器に大きな悪影響を受けた患者さんも多く、もう何年にもわたって人工呼吸器を付けたままで病院暮らしを余儀なくされている人も数名ほどいました。ほぼ全員が70代~80代。認知症を患っていた人でも、呼吸器を付けた後でじわじわと認知症が進んでいったため、人工呼吸器と自分の肺を繋ぐ管を外すことはありませんでした。

 当時、そんな呼吸器を付けた患者さんが5名ほど。人工呼吸器を付けたまま新しい病院へと引っ越すことになったのです。

■ 新病院建設と綿密な計画

 引っ越し前の病院は古く、お世辞にも明るい雰囲気とは言えない様相でした。夜勤でナースコールで呼ばれた患者さんの用事を済ませてふぅ、っと一息つきながら詰所に戻る時に、たまたまトイレに立った患者さんの人影が怪しげに見えて思わずビクッとしたことも。それよりももっと怖いのが、患者さんの急変でしたが。

 新病院の建設計画と、それぞれの病棟がどこに入るかの振り分け、引っ越しに伴い紙カルテから電子カルテへの切り替えと導入、それに伴うカルテの主要データのスキャン作業。そして、各病棟では患者さんをどのように安全に搬送するかをそれぞれ綿密に打ち合わせていました。新しくて明るい雰囲気の新病棟にわくわくしつつも、全ての患者さんを確実に安全に搬送するかは、なかなかの難題でした。

 新病院までの距離は、500mほど。大した距離ではないものの、呼吸器と体を繋ぐ管の長さが生活範囲である患者さんにとって、その500mをどう乗り切るかが課題でした。

 人工呼吸器は安全のため簡単に移動できない状態で、今でいえば骨とう品扱いされそうな代物。そして専用のバッテリーなども動かして使う事など前提として作られていない為あるわけもなく、普通の車での移送は到底無理。そして人工呼吸器は、その患者さんの血液内にバランスよく酸素が含まれるように一人一人、酸素量や空気の流量などが違っているので、病室から病棟エレベーター、玄関から新病院へとどうリレーしていくのが最大の難関でした。

■ 新機材が導入された新病院、引っ越し当日

 新病院の各病棟は、産科病棟や緩和ケア病棟以外は大体同じ作り。4人部屋、2人部屋、重症用個室2部屋で差額ベッド代を取る個室は無し(差額ベッドのない病院なので給料はお察しください)。

 まずは病棟ごとに、歩いても問題のない患者さんから移動してもらうことになりました。一度に各病棟から出ようとすると、お世辞にも広いとは言えない旧病院の玄関先は大混乱となりますし。歩くのは無理でも車いすで押してもらえば大丈夫、という人は、職員とボランティアさんも総出で車いすを押してゾロゾロ。

 症状の落ち着いている、歩いても問題ない患者さんたちがぞろぞろ新病院に向かい始めた頃、体を起こせない人は福祉車両を借りてきてストレッチャーで移送。新病院で待機している職員が専用エレベーターで二人一組で患者さんを移送、ベッドに乗せて症状の変化がないことを見届けて次の患者さんへ、と続いていきました。

■ 人工呼吸器を付けた患者さんを運んだのは……

 そして最難関の人工呼吸器の患者さん。どうやって移送したか? 実は、救急車をあらかじめ要請し、移送に使ったのです。

 乗り込むのは患者さんと担当医、担当看護師。人工呼吸器を救急車に入れることはできませんが、酸素とアンビューバッグを使い、医師の観察の元で無事に送り届けることができました。人工呼吸器を使っている人の中には身辺動作が自立している人もいたので、車いすに乗ってから救急車で移送した後、新しい病室に置いた呼吸器を医師が繋ぐまで意外とスムーズに行われていました。

 寝たきりの人も、医師がアンビューバッグで空気と酸素を送り込みながらストレッチャーで移送。新病室で呼吸器がそれまで通りの設定になっているか、一人を移送したら必ず確認し、全部のコードや管が完全に繋がっているか、送る空気が漏れていないか、血中酸素量が問題ないか、全てを確認して問題なし。呼吸器を付けた患者さんが全員、無事に新しい部屋に入ることができました。

 意識がある患者さんはみな口々に、「きれいで広くて明るい」とニコニコ。さっそく窓からの眺めを見渡す患者さんもいたそうです。

 全員を一人たりとも問題なく安全に移送できたところで、無事に引っ越しは終了。呼吸器の患者さんは普段は安定していても、呼吸器を付けることになってからの大移動はみんな初めての体験。

 患者さんには不安を与えないようニコニコ声をかけながら移送していましたが、内心ピリピリと緊張していたのは、重症患者さんを受け持った人はもちろん、そうでなくても途中で転んで骨折なんてことにならないように細心の注意を払いつつ移動してもらったので、恐らくあの時ほど笑顔がこわばっていた時はなかったかもしれません……。

■ 全員、新病棟に。そして何もかも新しく

 この日ばかりは打ち合わせていたことを全て時間内におさめるために、必要な点滴や服薬など必要最小限の処置だけ。日勤のナースたちは各担当患者さんの様子を準夜勤に申し送りをするために、患者さんが各ベッドへ到着直後とは別に、全員が各ベッドについてから落ち着いたところを見計らって熱や血圧などを一通り測ります。

 特に呼吸器科に入院している患者さんたちはちょっとした動作で酸素が足りなくなることもあるので、特に心配な人は1時間おきくらいには酸素濃度を測りに行っていたように記憶しています。

 呼吸器を付けている人たちは、気道に穴をあけているので声が出せませんが、筆談や身振り手振り、口パクで私たちに色々と伝えてくれます。呼吸器を付けている中に、普段から穏やかで笑顔の可愛いおばあさんがいましたが、部屋を訪れたところ、すごくニコニコと、両手を合わせてどこかの方向に向かって拝んでいるようでした。

 「何を拝んでいたんです?」と聞いてみたところ、「こんなにきれいで立派なところにこれたよ」と言うようなことを、先立たれた夫に報告したといったような話を教えてくれました。

 良かった……。大きな疲れもなさそうな様子で全員無事にお引っ越しできて。帰る前に担当した患者さんの様子をカルテに書き、帰る前にもう1度様子を見に行こうかな、と思っていたところで、患者さんの食事が入ったワゴンが到着。これも新しくなっており、温かいものと保温しないものを分けて運べるワゴンになっていました。

 今では多分、どこの病院でも入院したら同じように温かいものは温かいままだと思いますが、20年前の旧病院での食事用ワゴンは保温機能は付いていなかったので、微妙に冷めた状態なことが普通でした。引っ越しの間、厨房では時間通りに食事を出せるように準備し、新しいワゴンにそれぞれの患者さんの名札を置いていたのです。

 そこで初めて日勤業務の時間を大幅に過ぎていたことに気が付いた私。既に準夜勤に引き継いで遅番業務のナースも来ていたので、邪魔にならないように撤退したのでした。

 この話には後日談がありますが、それはまたいつか。

(梓川みいな/正看護師)