こんばんは。ただいま秋葉原事件初公判から帰りました。普段は主に「ミリタリー」な話題を取り扱う「ミリタリー魂」。今回は秋葉原事件初公判を傍聴してきましたので、特別編としてお届けいたします。なお、裁判所ではメモとスケッチ以外の一切の記録が禁止されているので今回は写真なし、文章のみでレポートです。

まず最初に、公判の内容に関してはテレビ報道と比べて新たな情報は特にありませんでした。
ただ、加藤被告が読み上げた文書の「記憶のない部分もあるが」の部分、人生を成功させることが出来ず、世の中全てから見放され、もう生きて行く場所が自分にはない、自分はこの世の中から消えてしまいたい、そんな気持ちで自分を追い詰めてしまったのでしょう。
こんな気持ち、僕も経験があります。大学に現役合格できずに一浪した時です。今にしてみれば些細なことですが、その当時の僕にしてみれば学歴社会の世の中で生きて行くすべを失うと言うことで、やはり精神的にかなり追い詰められました。
まぁ、さすがにそれで無差別殺人して世の中に復讐しようなどとは考えませんでしたが。そんなことしても全く無益ですからね。その意味で加藤被告には同情の余地はありません。

写真:<事件以前の秋葉原>

ここで思うのは、最近の社会に「人生に成功したエリートじゃないと社会に居場所なし。特別に有能な者、お金持ちじゃないと相手にしない。」という風潮は無かっただろうか?ということ。僕の周辺にもそんな雰囲気はありました。
親や先生も生徒たちを勉強に駆り立てるためにそういう事を言っていたんでしょう。
その当時の風潮としては、「人間が手を使ってやっている職人仕事、モノづくり仕事、危険でキツい肉体労働は全て機械がやるようになり、それしか出来ない人間は仕事が無くなる。これからは頭脳労働だけでやってゆく時代が来る。」などといわれていたように思う。実際、僕もそう思って勉強に励んでいました。
しかしロボットの研究が進むにつけ、職人や労働者の仕事が意外に複雑で、機械で実現しようとすれば融通の利かない、ひどく高価なものになってしまうことがわかり、生産現場は職人の手仕事と自動機械が棲み分け、連携しあう状態となりました。僕にとっては幸運でした。

僕が「エリートでなければ生きる資格なし」という考えを捨てるに至ったのは、自分の職場やサバゲーで色々な人の人生を聞くことが出来たためです。みんな結構離婚もしているし、カネも無いし、無職となる人もいるし、エリートなんて世の中多くはいないんだなって思いました。
加藤被告もイタズラ半分の荒らし書き込みの多いネット掲示板だけじゃなくてもっと多くの人に直接人生の話を出来る心の余裕があれば今回のような事件は無かったと思います。

今回の法廷レポートはこれにて終了します。