目に見えない障害に対し、可視化するとともに、倒れるなど何かあった時のために必要な情報などを入れておくことができるヘルプマーク。今ではほとんどの自治体が無料で配布するようになりましたが、それでも、まだまだ障害自体に対する偏見の目はなくなる気配がありません。

 「お墓参りにヘルプマークを付けて行った所、親戚から睨まれました。おばちゃんに聞いたところ『障害があるってこんな所でも見せたいの?』と言われました。そんなつもりはありません。知っていて欲しいだけなんです。ヘルプマークを付けていることがそんなにいけないことですか?」

 そんな問いかけを、ご自身がカバンに付けているヘルプマークとともにツイッターに投稿したのは、ネットユーザーのかねやんさん。

 親戚にとって、ヘルプマークは「障害があります」ということを外に知らせるという行為で、親族に障害持ちがいると知らせることにつながるので、それ自体が恥ずかしいという認識があるのかもしれません。ゆえに「こんな所でも見せたいの?」となじる様な発言につながったのでしょう。

 かねやんさんは、発達障害による聴覚過敏があり、特に電車など閉鎖的な空間は苦手で疲れやすいということで、意思表示のためにヘルプマークを付けています。実はこれ、結構よくある話で、筆者の娘(中1)も同様に発達障害から来る感覚過敏持ち。特に聴覚過敏と、人混みに対する異様な疲労感が強いため、同様にヘルプマークを持ち歩いており、片面には聴覚過敏がある旨を記入し、時にはイヤーマフで雑音から身を守るようにしています。

 しかし、かねやんさんの親戚の人にはそういった障害についての知識や理解はない様子。昔は、「障害はあっては恥ずかしいもの、みんなと同じでないといけない、ゆえに大っぴらにするものではない」という意識が強かったように思います。ですが、この数十年の間、情報網が発達し、障害について解明されてきて、それがネットを介して広がるとともに、障害についての理解やバリアフリーへの取り組みが関係省庁と草の根レベルから広がりを見せています。

 かねやんさんのツイートを見た人たちからは、「障害は『隠すべきもの』ではなく、『困ったときに手助けされるべきもの』」という意見から、「世代が上の方々の時代、障害者って『隠すもの』って文化だからその名残でしょうねぇ」「特に地方は障害=隠すという感じですよね」「田舎のお年寄りだと『うちの血統に障害があると思われて結婚や就職に不利になったらどうしてくれるんだ』っていう思考の人はいるようです」などなど、一定の年齢層以上の無理解や、田舎ならではの思考などをリプライに寄せている人が続々。

 また。同様にヘルプマークを付けている人たちからも、「助けを求めるために必要だから付けている」「倒れた時などに必要な連絡先や処置などを身に付けるためにヘルプマークを付けている」といった声も。決して「障害があることを見せびらかす」ために付けていないという考えは一致しています。あくまでも、「人よりも弱い部分、手助けが欲しい部分があるけど外からでは見分けがつかないために持っている」のです。

 筆者の娘の話を先述しましたが、娘も、バスや電車に乗る機会があり、男性恐怖や人混み恐怖ゆえに不登校状態ながらも、友人と外に出ることで社会性を持つ事が出来ています。一方で、そうした不特定多数の場に出る心配や不安はやはり尽きない様子。同世代がヘルプマークとイヤーマフを使っている様子をネット越しに見たことで、自ら「ヘルプマークを持ちたい、裏には発達障害と聴覚過敏があることを書いておきたい」と申し出てきました。

 発達障害や精神疾患以外にも、内臓疾患で長時間立っているのもつらい人がいます。心臓や肺が弱い人にダッシュしろ、なんていう人や、耳が聞こえない人にしゃべっている言葉を聞き取って、という人はいないと思います。しかし、それは知っているから言えることであって、そうした「外から見えない障害」は、実はかなりたくさんあります。

 誰もが無理せず、「しんどい時にはお互い様」の精神で譲り合えるために、ヘルプマークは一つの目印としての役割を果たすのではないでしょうか。

【8月22日追記】
次女がヘルプマークに付けていた発達障害と聴覚過敏がある表記について。
こちらは、もり(@morikanoko)さんが、ヘルプマーク用に作成した画像をもとに、次女の状態にあわせて文章を改変しお借りした物です。この画像はもりさんのブログに掲載されており、必要に応じて文章を書き替えて使用可能との事です。この場をお借りして、もりさんに改めて画像使用についてお礼申し上げます。

<記事化協力>
かねやんさん(@kinpiranshiki)

(梓川みいな)