「写真撮影はご遠慮下さい」「大声での会話はお控え下さい」日常利用するお店や施設等で、迷惑行為への牽制のために、こうした案内を見かける機会は多いですよね。これらの言葉、あなたはどのような受け止め方をしますか?

 サービス提供側からすると、これらは「禁止」と同等であるという意思表示ですが、近頃これを「少しくらいならやってもいい」と解釈する事例が発生しているのだとか。SNSで物議を醸しています。

■ 敬語ならではの解釈違い?

 これらの言葉は、敬語のうち、相手を立てる際に用いる「尊敬語」に分類されます。つまりサービス提供側が下手に出つつ、利用者にお願いを促す際に用いる表現です。和を重んじる日本らしい、相手への配慮にあふれた言葉と言えるでしょう。

 だからといって受け手側がこれに過剰に優越感を覚えるべきではありません。利用者側としても「サービスを利用させてもらっている」という、提供側に対して「敬意」を持つのが有るべき姿。本来その関係性は対等でなければならないはずです。

 ましてや、提供側が「やめて欲しい」とお願いしているのを分かっているにも関わらず、「ご遠慮下さい」なので遠慮するかしないかは自分次第、さらに「少しくらいならいいでしょ」と解釈してしまう流れには、正直驚きを隠せません。

■ 婉曲表現に垣間見える日本らしさ

 特に日本ではいつの頃からか「お客様は神様」気質の人が増え、「利用料を払っているんだから、何をしてもいいだろう」という利用者側の身勝手な都合を押しつける人も増えたような気がします。

 それならいっそのことストレートに「禁止」「○○してはいけません」と案内すべきですが、これはこれで言い方が少し強すぎてしまい、普段配慮が出来ている一般の利用者にとっては「もっと言い方があるんじゃない?」といった誤解を招きかねない表現でしょう。こうした背景もあり、長らく日本では遠回しに表現して、角を立てないようにする「婉曲表現」が用いられてきたのです。

 しかし、このような事例が今後多発するようであれば、もう表現を婉曲している場合ではないでしょう。サービス提供者や他の利用者に迷惑が掛かる行為には、明確に「禁止」と打って出なければなりません。

■ 日本人らしさは失われていくのか

 筆者も長らくサービス業に身を置いていた立場。敬語についてはさまざまな教育を受けましたし、教えてきた側でもありますが、他の言語と異なり、日本語には特有の「奥ゆかしさ」が含まれていると感じます。

 世界でも日本人のマナーやサービス精神は称賛されており、「おもてなし」が話題になったり、スポーツの国際大会等で観客がゴミ拾いをしていたことは、記憶に新しいところ。

 そんな長く重んじられてきた日本らしさが、一部の人のために失われてしまうのはとても悲しいこと。しかし、こうした解釈が今後当たり前になるのであれば、積み上げてきたものが崩れるのはあっという間でしょう。時代の転換期は刻々と迫りつつあるのかもしれません。

【山口弘剛:筆者プロフィール】
鹿児島出身・鹿児島在住。私生活では妻と共に2人の子どもを子育て中。仕事は元アパレル店長、元ゲームショップ店長を経験。現在はライター、イラストレーターとして活動中。