日本人が日常生活での和装をやめて半世紀以上はたつでしょうか。洋装での生活が当たり前の世の中で、自分に合う「靴」を探し続けてさまよっていた筆者を救ったのは灯台もと暗しの「地下足袋」でした。地下足袋を履いて日常生活を送ってみたら、果たしてどうなるでしょう。

 筆者はシューフィッターさんも匙を投げるほど悩ましい足の形をしています。靴擦れをかばった不自然な歩き方を気にしながら、どうにもならずに苦しむ日々を抜け出すために、
歩きやすいと評判の靴には薄給ながらも投資してきました。

 しかし、どんなに期待して手に入れた靴も悩みを解決してくれることはなく、これは選び方に問題があるのかもしれないと考えて、シューフィッターさんのいる有名百貨店も訪ねてみましたが、売り場の靴を散々試し履きした結果、「木型から作った方がいい」との宣告。

 木型の製作費用が約10万円、その木型から靴をあつらえるのが最低6万円からで、全てが完成するのに約半年と説明されて、「貴族か!」と心の中で毒づき、絶望した経験の持ち主です。

 そんな中、ふと目にした高所の足場を軽やかに行き交う工事現場の方々。

「地下足袋か……」

 日本に昔からある、あの形なら自分の足にもしっくりくるのでは、そう思って藁をも掴む気持ちでトライしてみることにしました。

 今では地下足袋タイプのフェミニンな靴も多く見かけるようになりましたが、筆者が探していた当時は、地下足袋といえばガチの現場仕様の男性サイズのみ。商品探しは思いのほか苦戦し、ようやく見つけたのが園芸用でした。

 言わなければパッと見は園芸用とはわからないデザインでしたし、合わない靴で足腰を痛めていた筆者にとっては背に腹は変えられぬ、です。まずはお手頃価格の園芸用地下足袋からのデビューとなりました。

 履いてみた感想は長時間歩行するためのものではないため「履き物」としては作りが雑。それでも、足先の割れた形は西洋からやってきた「靴」に比べると、筆者にとっては格段に歩きやすく、「これだ……」という手応えを掴みます。

 奮発して買った高い服より、着心地の良いプチプラばかり着てしまうのと同様、入手以降は、やや作りが雑ではあるものの履き心地の良い園芸用の地下足袋で生活するようになりました。

 気恥ずかしさよりも楽に歩けることの方が筆者にとっては重要だったので、周囲の目を気にしていたのは最初だけで行動範囲はどんどん広がっていきました。

 そのうち珍しい履き物で行動していることを意識することもなくなり、人から言われて「あ、そうか。これ珍しいんだよね」と思い出すほどに。

 どこへでも行けると自信はつけたものの、本来は園芸用。日常使いをすると、すぐに底のゴムが磨耗してしまいます。その後、2度ほど同じものを購入して履き続けていましたが、あっという間に消耗してしまいました。

 「日常用のちゃんとしたの女性用地下足袋が欲しい」……と切実に願っていたら、老舗地下足袋メーカーと海外デザイナーとのコラボ品発売の吉報を目にします。

 特別なファッションアイテムとしての限定品のため、お安いとはいえず、試し履きもせずに通販で購入するのは一大チャレンジでしたが、いつまでも園芸用でやり過ごすこともできないので、足に合うことを信じてポチることに。

 初めて手にしたその地下足袋は、金色のこはぜ(留め金)や、足の形に立体的に縫製されたフォルムが機能美に溢れた芸術品のよう。

 靴底もフラットだっだ園芸用とは違って、土踏まずの凹凸に合わせて成型してあります。これが本物かと園芸用で満足していた筆者は感動してしまいました。

 早速、履いてみると、まるであつらえたかのようなフィット感。「靴」は融通の利かない「型」に、こちらが足を合わせているような感覚でしたが、地下足袋は柔らかい布地が足の形に添ってくれます。

 はりつくように隙間なく足が覆われているのに「何かを履かされている」という窮屈な感覚がないのは感動的で、思わず声が出てしまいました。

 気になっていた周囲からの反応も園芸用のときと同様に上々。尖ったファッションを好む知人は「個性的なおしゃれを楽しむモード系に目覚めた」と好意的に勘違いしてくれたり、電車の中では外国人観光客から、どこで買えるのかを尋ねられたりもしました。

 意外だったのは上品なマダムや和装の年配のご婦人から「素敵ね」とにこやかにお褒めの言葉を頂戴したことです。年齢が上の方や和装を好む方にとっては「異端」と眉をひそめられても仕方がないと思っていたのは筆者の偏見だったと反省します。

 これらの経験から、地下足袋というのは思った以上に世間に受け入れられやすいのかもと感じつつも、さすがに上司から何か言われるに違いないと覚悟して挑んだ職場デビュー。

 どうなったかというと、外部との接触がない職務ということもあり、あっさりと受け入れられて拍子抜けでした。上司からの一切コメントなしで、これは日常の履き物として「特段言うことなし」と解釈しました。

 底がゴム製の地下足袋はオフィス内では足音がせず、快適でした。静かな職場だったので、ヒールのカツカツ音が思いのほか響き渡ってしまい、それまでは気を遣っていました。但し、リノリウム張りの廊下ではゴムが擦れてアニメの効果音のようなキュッキュッキュッという音がして、筆者が来るのがわかったと笑いを提供したことも。

 「靴」ばかり探し求めていましたが、日本人ならではの履き物があったことに気づいてからは、夏場は下駄、それ以外の季節は足先の割れたデザインの履き物の完全なる愛好者になりました。

 靴箱には冠婚葬祭用のフォーマルな婦人靴1足と、ややカジュアルな婦人靴1足を残し、それ以外の全てが足先が割れているか、鼻緒付きという状態です。

 下駄8足、草履1足、地下足袋3足、足袋スタイルのデザイン靴が2足あり、今のように簡単に見つけられなかったので、出会う度に買っていたことを思い出します。

 現在は難なく歩けますが、履き始めの頃は靴とは違う歩き方を意識する必要がありました。

 「靴」は構造上、歩くと中で足が僅かにスライドしていますが、地下足袋は自分の足で直に歩くような感覚なので、靴と同じ歩き方をすると、指先が割れている部分に足の指の間が当たって皮膚が擦りむけてしまうのです。

 これを経験してしまうと、既製靴で問題のない方は痛みに懲りて、わざわざ履くのをやめたくなると思いますが、筆者の経験上、ここで諦めてしまうのは惜しい!と感じます。
何故なら、足先の割れた履き物なりの正しい歩き方を習得すると、ふくらはぎと足首が引き締まる感覚があるのです。

 もしかすると、江戸時代の女性に対する誉め言葉『小股のきれあがった』というのは、
こういった履き物を履きこなすことによって獲得した引き締まった筋肉のことだったのではないでしょうか。

 履き始めの頃に襲われた経験したことのない部位の筋肉痛から、そんな風に思います。

 地下足袋と出会うまでは歩くことが苦痛で避けていたのに、今は歩くためにわざわざ近所を散策するという生活に変わりました。

 合わない靴を履いていた頃は日常茶飯事だった靴擦れ、不自然な歩き方で膝や腰、背中までも痛めて通院した日々を思い返すと、歩数計の歩数を気にする日々が訪れたのは夢のようです。

 子供の頃に裸足で歩いた土や芝生の上がとてつもなく足裏に優しかったこと思い出させてくれたもの地下足袋でした。

 と、同時に改めて気づかされたのが想像以上に硬いアスファルト。夏場は表面温度が60度を超えるなんて話を耳にすると、もはや鉄板を敷いているように感じてしまいます。裸足で歩く犬や野良猫たちが心配です。

 舶来文化は日本人の生活を飛躍的に便利にしてくれましたが、手放しで喜べることばかりでないと実感できたのも地下足袋生活のおかげです。

 足先の割れた履き物の普段履きは、まだまだ特殊な目で見られがちですが、筆者が履き始めた頃に比べるとデザインも豊富になり、入手もしやすくなりました。靴が苦痛で(図らずしてダジャレ)仕方ないという方は、日本人の足に合わせて進化してきた履き物に目を向けてみるのも一考だと思います。

 足の快適さだけではなく、履いて生活した者にしかわからない気づきがあるかもしれません。

(佐伯プリス)