厚生労働省がお笑いタレントの小籔千豊さんを起用したポスター「人生会議」が物議を醸し、ポスターはじめ、放映予定だったCMなどもお蔵入りとなりました。

■ 「死」の話はタブー?

 ここ数年、毎年何人もの著名人がこの世を去り、病気や死と無関係そうな人も突然命を失っている報道も相次いでいます。小藪さんの年代でも十分に起こりえることですし、どの年代でも「寿命」はやってきます。だから、ポスターでは家族に伝えきれなかったことや後悔などのセリフがポスターを埋め尽くすように並び、何一つ重要な話をしていなかったことを死の間際に気が付いたという内容になっています。

 しかし、このポスターはその表現方法で物議を醸し、ネットでは一時「炎上状態」に。結果お蔵入りが決断されたわけですが、物議となったことで各メディアに取り上げられ、多くの人の目に触れることになりました。そしてこれまで「家族の死」について考えてこなかった人たちには、「人生会議」って何?どういうことをするの?とインパクトを与えたことは間違いないでしょう。

 実は今回の「人生会議」のポスター、反対派がいる一方で好意的な意見を持つ人もいます。SNSで検索するとすぐにその意見を見ることができるのですが、好意的な意見をもつ人の多くが若くして親や配偶者を亡くしてきた人たち、さらには死の別れを現場でみてきた医療者たちも。まさに賛否両論といったところ。

 古くから、家族間で「(自分や家族の)死に関する話を事前にすること」を嫌う傾向があります。これは、生きている以上は本能的な反応でもあります。「死を回避したい」という思いは、健康な心であれば誰もが同じ。しかし、話し合わないままでは、家族は身内の死後に耐えきれなくなってしまうことがありますし、死にゆく人も、さまざまな無念を残して去ることになります。

■ 「人生会議」とは、何を会議すべきことを言うのか

 厚労省のHPには、“「人生会議」とは、もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取組のことです”と定義しています。元々は、「ACP:アドバンス・ケア・プランニング」と言われていた、「自らが望む人生の最終段階における医療・ケアについて、前もって考え、医療・ケアチーム等と繰り返し話し合い共有する取組」を、もっと親しみやすく、話しやすい愛称にすべく「人生会議」という愛称となり、2019年の11月25日にポスターなどが発表されました。

 厚労省の調査(2017年)によると、60%の方が「人生の最終段階における医療について関心がある」と回答されていますが、「詳しく話し合っている」、「一応話し合っている」という方は40%。さらに、命の危険が迫った状態になると、約70%の人が医療やケアなどを自分で決めたり、望みを人に伝えることができなくなるといいます。

■ 肺がんで自分の最期を決めた患者さんの話

 筆者は、看護師として呼吸器科病棟にいましたが、肺がんで苦しくて余命も抗がん剤を使っても1か月持つかどうか、モルヒネなどの痛みだけでない呼吸苦をどうにもできない状態でこのまま苦しいまま死ぬよりも、家族とよく話をして、最期は苦しまないように眠ったまま終わりたい、という患者さんに立ち会ったことがあります。

 何度も何度も、院内で命をどのように扱うべきか、患者さんの言うがままにすべきか、ご家族を含めた会議を開きました。患者さんは意識清明ではっきりとご自分の意思を伝えられる人でした。「まさかこんなに進行が速いなんてね……」と悔しそうな表情は今でも忘れられません。

 結局、患者さん本人とご家族が納得して合意したのは、「いよいよ息ができない苦しさになった時に、眠らせて欲しい」という話。鎮静剤を投与して意識を落とし、深い眠りの状態のまま最期を待つ、ということでした。それまでの間、毎日ご家族は面会に来て、どう葬式をあげてもらいたいか、他の親族とはどう話を付けたか、などをじっくりと話し合ったそうです。

 そして、いよいよ、という時に鎮静剤は投与され、その3日後に患者さんは旅立ちました。ご家族からは、「本人の意思通りの最期を迎えることができ、眠る前にきちんとお別れを言えたのは本当に良かったと思っています」と仰っていました。鎮静剤を打つ前に、最期のお別れを惜しみなく伝えることができた……患者さん本人にとっても、ご家族にとっても納得のいく見送りになったのです。

 こういう例は、実はかなりまれな方。実際は、どう考えても意識が戻りそうにないのに呼吸器を付け、栄養を直接胃に送り込むために胃ろうを造り、「家族が患者さんにただ生きていて欲しいから」患者さんの意思とは関係なく生かされていることの方が圧倒的に多いのです。もし、声は聞こえるのに全く意思表示ができない状態に陥り、呼吸器に繋がれ、点滴に繋がれ、トイレも行けずにオムツで過ごすことになり、食事も楽しめないで生かされ続ける……皆さんは、そんな最期を送りたいですか?

■ 圧倒的に多い「家族の意思で生かされる人」になりたくなければ、とにかく話すこと

 脳卒中、心臓病、事故による外傷……これは高齢者だけの話ではありません。働き盛りと言われる年代でも脳卒中は起こります。自分が道を歩いているだけで突然はねられることだってあります。すべての年代が、「もしも自分が死んだら」を考えておく必要があるのです。

 そして、一命をとりとめても、ずっと植物状態になることも十分にあり得ます。普段元気にデイサービスに通っていても、突然あの世に行ってしまった人も何人もいます。一家の大黒柱が進行の早いがんになって頭を抱えた家族も見てきました。見送られる側は既に家族に伝えることができないので、家族にされるがまま。家族は、少しでも長く生きていて欲しい気持ちが強いあまり、死に対してなんて考えたくないのが本音。

 死にゆく当事者と家族の溝の中で、後からじわじわとやってくるのが、残された家族が襲われる「後悔」なのです。自分らしく生き、自分らしく死に、自分らしい最期の見送りをしてもらいたい。誰もが思うことなのに、言いづらくて、怖くて話し出せない……、そんな人は、それこそ厚労省の「人生会議」のページから、パンフレットやポスターなどをプリントして「こんなのがあるんだって、うちも話しといたほうがいいよね」って、帰省の折にでも忌憚なく話せるといいですね。

<引用・参考>
「人生会議」してみませんか|厚生労働省
神戸大学 縁起でもない話のきっかけになるツール | ゼロからはじめる人生会議

(梓川みいな/正看護師)