映画館 米蘇のボタン戦争を描いた映画といえば昭和35年の第二東映(ニュー東映)映画『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』(特撮監督・矢島信男)、昭和36年の東宝映画『世界大戦争』(特技監督・円谷英二)、昭和49年の東宝映画『ノストラダムスの大予言』(特技監督・中野昭慶)等がありますが、今回は『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』をご紹介します。

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 配役は、若かりし日の梅宮辰夫、三田佳子らの他、米統合参謀本部議長がジョージ・ファーネス、英軍人がアンドリュー・ヒューズ。ヒューズはオーストラリア人ですが、昭和40年の『大冒険』ではドイツ人・ヒットラー役、昭和44年の『日本海大海戦』ではロシア人・ロジェストウェンスキー役でしたね。

 本作が公開された昭和35年といえば、岸信介内閣が日米安全保障条約を改定した年であり、劇中に登場した新聞記事にも、安保改定関連の記事が載っていました。

 映画の前半では、高校生3人がボートに乗って日本を脱出し、アフリカを目指します。その理由について、高校生は「日本には基地があるから基地が攻撃される」と述べ、核攻撃から逃れるためだと言っていました。ここで言う基地とは、高校生は明言していないものの、明らかに米軍基地のことを言っています。この高校生の台詞は、クライマックスとリンクしています。

 ところで話はちょっと逸れますが、昭和29年にアメリカがマーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験を実施したのをきっかけに昭和30年に製作された映画『生きものの記録』では、三船敏郎演じる老人が、核戦争から逃れるためにブラジルに移住しようとしていました。核戦争から逃れるために日本から脱出しようとするという点は、共通していると言えます。

 さて、映画の方は、韓国の京城(←劇中のラジオアナウンサーがそう言っている)附近で米軍機が原因不明の爆発を遂げたことをきっかけにして資本主義国と社会主義国の緊張が高まります。事件を北朝鮮の仕業として非難する米韓に対し、北鮮(←劇中のラジオアナウンサーがそう言っている)は、「事件はアメリカ及び韓国にあるアメリカの傀儡政権による陰謀である」との声明を発表(北朝鮮なら実際にそういうことを言いそうだな)。『世界大戦争』でも、朝鮮半島が火種として登場していましたね。

 国際連合安全保障理事会では戦争回避のための話し合いが行われますが、今度は米空母が欧州で原因不明の爆発を起こしたことで益々緊張が高まり、映画のクライマックスでは遂にアメリカとソ連の戦争が勃発します。横田基地から出撃した米軍機がソ連を空襲したことで、ソ連は「日本の米軍基地を出発した米軍機が我が国を攻撃したから、日本の米軍基地に核ミサイルを撃ち込む」という声明を発表し、東京に核ミサイルを撃ち込みます。時を同じくして米蘇双方が核ミサイルの応酬を繰り広げ、モスクワ、サンフランシスコ(←なぜ作り手はサンフランシスコを選んだのだろう?)が灰燼に帰します。

 こう見ると、この映画のストーリーは、日本に米軍基地があるから米蘇の核戦争に巻き込まれるという論調が基調となっており、特に前半の台詞は日本政府(=岸信介内閣)に対する批判がストレートに表れていました。現実の世界で安保改定に反対した人々が主張していた意見を、そのまま一方的に映画化したような印象を受けます。ただ、日本政府に対する批判のみならず、戦争に向かって突き進む国際社会への絶望感も表れていました。

 最後に、映像面の特徴を指摘しておきます。本作では、国際情勢の推移は全てラジオから流れる音声で伝えられていました。『世界大戦争』では、円谷英二による特撮で潜水艦や戦闘機や戦車等が描かれていましたが、本作では米軍機の爆発も米空母の爆発も全く映像では描かれませんでした。国際情勢の変化をラジオ音声のみで伝えることによって、日本の庶民から遠く離れた場所でどんどん事態が進展し、今後どうなるか分からない、なすすべもないという恐怖感を醸し出すことに成功していました。

 それまで特撮映像を全く登場させなかった本作ですが、米軍機の編隊が飛行する場面とラストの核爆発の場面で特撮映像が登場。特撮シーンでは、合成シーン(群衆と米軍機の合成と、群衆ときのこ雲の合成)が非常に巧かった。とは言うものの、むしろ特撮よりも本篇の方に気合いが入っていました。核ミサイルを撃ち込まれて廃墟となった東京の場面なんか壮絶でしたよ。
 私の結論としては、本作は、政治的な面もありましたが、パニック映画としては入魂の出来だったと思います。

(文:コートク)

※写真はイメージです。