【新作アニメ捜査網】第44回 過去5年間のアニメベスト10「新作アニメ捜査網」を開始して2年以上が経ちました。これまで続けてこれたのも皆様のご支援の賜物です。厚く御礼申し上げます。今回は特別企画として私コートクの独断と偏見で過去5年間の個人的に良かったアニメベスト10を発表致したいと思います!それでは張り切って参りましょう!


●第10位……『喰霊―零―』
第1話、第2話で何の説明もなくストーリーの終盤を描いた後、第3話からは過去に遡って物語を描き、第10話で第2話に合流するという、一種の時系列シャッフルを展開した作品。破滅的惨状を描いた第2話を放送した翌週に、ほのぼのとした第3話を放送することで、主要登場人物・黄泉(水原薫)と神楽(声・茅原実里)の交流と対決を対比させ、その悲劇性を強調していました。また、なぜこの2人が対決することになってしまったのか、視聴者の関心を惹きつける効果もありました。
まず第1話「葵 上 ―あおいのうえ―」では、東京都内を舞台に特殊部隊と悪霊の激しい戦いを描きました。戦いの描写は臨場感に満ち満ちており、観ているこちら側もうっかり気を許すと悪霊に殺されてしまいそうな緊迫感が漂っていました。そして終盤、主役のように描かれた特殊部隊が全滅。そのまま無音の状態でタイトルクレジットが表示され、第1話は幕を閉じました。恰もテレビゲームのバッドエンドのような終わり方は、視聴者を煙に巻くものでした。『喰霊―零―』が本放送された枠は、伝統と格式の千葉テレビ放送日曜深夜12時の角川書店提供枠ですが、同枠で2006年に放送された『涼宮ハルヒの憂鬱』第1話でも奇抜な構成で視聴者を煙に巻いていましたね。
第2話「憎 発露 ―にくしみのはつろ―」でも引き続きスピード感溢れる戦闘シーンが息を呑む出来で、逆光を背景に黄泉が現れる描写も印象深い。そして台詞のインパクトが突き抜けている回です。前回のラストにも登場した「諦めてって言ったでしょ」という台詞で幕を開け、終盤にはブルーレイディスクのコマーシャルでも流れた「大っ嫌い!」という台詞が登場。そしてラストは、「私を姉と呼ぶな!」という恐ろしいまでの脅し文句が響き渡ったところで幕を閉じました。そして次回に続く……と見せかけて第10話に続くのでした。
第3話「邂逅 砌 ―かいこうのみぎり―」は第1話、第2話とは打って変わって、まるで別の番組であるかのような、黄泉と神楽の温かい交流を描いたエピソード。今回の方が時系列としては過去となります。この仲睦まじいエピソードが、後で殺戮のエピソードに繋がるとはショッキングです。
第4話「務 大義 ―つとめのたいぎ―」では初めてオープニングタイトルクレジットが登場しました。映像の構図としてはなかなかかっこいい仕上がりです。タイトルバックは黄泉と神楽をメインに据えており、本篇の展開と対応しています。第4話では幻の銀座線新橋駅で妖怪と戦う場面も登場しました。地下鉄好きにはたまりませんな。
第5話「頑 想 ―かたくなのおもい―」ではコメディータッチに徹した作りに変貌。第1話、第2話の時点ではあれだけハードだったのに、一体どうしたのかと視聴者を翻弄しました。
第6話「美 敵 ―うつくしのてき―」では、「自分は役に立たない」と自分を責める神楽は、包容力のある黄泉の優しさに救われます。この他、夜の学校で魔物と出会い、ロッカーに隠れるものの徐々に魔物が近付いてくる場面が非常に恐ろしい。
第7話「呵責連鎖 ―かしゃくのれんさ―」では、穏やかなピアノを背景に学校内の何気ない日常を映したシーンは殺伐さの中にも僅かに潜む安穏を感じさせ、ひとときの安らぎを与えていましたが、それもラストの殺人シーンに掻き消されてしまいます。
第8話「復讐行方 ―ふくしゅうのゆくへ―」では殺人シーンが豊富に描かれ、黄泉まで死んでしまうという急展開。……と思いきや第9話「罪 螺旋 ―つみのらせん―」で、前回のラストで死んだと思われた黄泉は実は生きておりました。病院に入院した黄泉に神楽が寄り添う場面は、平凡な日常を望む神楽の想いが胸を打ち、壮絶な宿命を背負わされた姉妹の悲劇性を浮き彫りにした泣ける場面でした。しかし、そんな中、黄泉を思いやるが故に神楽が発した一言が、黄泉の精神にとどめの一撃を与えてしまうという、皮肉な展開を迎えるのでした。
第10「話悲劇 裏 ―ひげきのうら―」で遂に第2話の時点まで辿り着きます。別人のように変わり果てた黄泉の恐ろしさに戦慄します。残虐な殺人シーンはドバドバ出血していましたが、いかにも「大変なことが起きているぞ」という緊迫感溢れるムードが張り詰めており、緊張感に満ちた描写であります。そしてラストでは、第2話のラストに登場した台詞「私を姉と呼ぶな!」が登場しました。
この番組はオープニング主題歌の入り方がいつもかっこいいんですが、第11話「運命 乱 ―うんめいのみだれ―」におけるオープニング主題歌の入り方は最高に巧かった。戦闘シーンが始まったと思いきやオープニングに突入したのですが、激しいイントロと相俟って、激闘の幕開けを告げていました。今回の戦闘シーンでは、室長が乗る車椅子が実は重武装されており、俊敏な動きを見せるのですが、室長の「冥府魔道」という台詞と相俟って、まるで『子連れ狼』みたいでした。今回、3人も殺してしまった黄泉は、一瞬、正気に戻って愕然としますが、すぐに殺戮者へと戻ってしまうのでした。正気になった時の黄泉本人も苦しんでおり、陰鬱な雰囲気が画面を覆っています。
最終回「祈 焦 ―いのりのこがれ―」では遂に神楽と黄泉の最終決戦。鬱蒼とした森林の中での殺陣は、素早い動きを捉えて上に行ったり下に行ったり肉迫したりロングになったりするキャメラアングル、切り替わりの激しいカット割り、そして突き刺さるような鋭い逆光によって、最高潮に盛り上がりました。決着をつけるシーンでは、神楽の脳裡に黄泉と過ごした楽しい日々が浮かび、悲劇性が高まりました。

放送期間・2008年第4クール
製作委員会・角川書店/角川映画/クロックワークス/ランティス
原作・瀬川はじめ(『月刊少年エース』連載)、シリーズ構成・高山カツヒコ、キャラクターデザイン/総作画監督・堀内修、音楽・上松範康、監督・あおきえい、アニメーション制作・アスリード/AICスピリッツ
オープニング主題歌「Paradise Lost」作詞・畑亜貴、作曲/編曲・菊田大介、歌・茅原実里
エンディング主題歌「夢の足音が聞こえる」作詞・畑亜貴、作曲/編曲・虹音、歌・水原薫

<出演者>
諌山黄泉・水原薫、土宮神楽・茅原実里、飯綱紀之・高橋伸也、神宮寺菖蒲・相沢舞、桜庭一騎・白石稔、諌山冥・田中涼子、他

●第9位・・・『こばと。』
傷ついた人の心を癒すことによって得られる金平糖を集める少女・花戸小鳩(声・花澤香菜)の姿を、借金取りに追われる保育園などと絡めて描いた一本。小鳩の優しさは尊く、その純真さは心温まります。この番組の最も優れたところは、主人公の小鳩が、どんなに悪そうな人でも真心を持っているという確信を一貫して持ち続け、微塵も揺らぐことがない点であります。
第3話「…雨の贈りもの。」では、小鳩はコンビニエンスストアの傘立てに傘を置いたら何者かに持ち去られるものの、「どなたか間違ってしまわれたのでしょうか」と丁寧な敬語で驚きます。世俗の垢とは無縁の天真爛漫な無邪気さは、世知辛い世の中において一服の清涼剤となっています。
第4話「…青葉のときめき。」で小鳩は、遊園地に行きたいと願う琥珀(声・斎藤千和)のために遊園地のチケットを手に入れようと一所懸命奮闘していました。人のためには苦労を惜しまない、他人を思いやる心に満ちており、その姿は視聴者の心を温めます。
第7話「…やさしいひと。」は大学生の藤本(声・前野智昭)と、その同級生・堂元(声・神谷浩史)を対象的に描いたエピソードです。他の学生から授業単位取得の協力を求められると応じる堂元に対し、藤本は他の学生から授業単位取得の協力を求められると拒否するのでした。堂元は、何でもかんでも協力に応じることはその人のためにならないと考えつつも、他人から嫌われるのを恐れて断り切れない自分自身を嫌悪し、藤本の対応を評価します。これに対し小鳩は、他人を助けたいと願う堂元の心に真正面から敬意を表するのでした。自分自身を嫌悪していた堂元ではありますが、小鳩から認められ、救われます。他人の行為を承認するというのは大事なことですね。小鳩は純粋であるが故に、本心から他人の行為を承認できるのでしょう。
第13話「…天使と守り人。」は、町にでーんとそびえる銀杏の木に対して邪魔だという苦情が来たため、木を伐採することになる、というエピソードです。その葉っぱで幼稚園児を楽しませるなど、小鳩は銀杏の木が持つ憩いの効果に大いに親しみを持つのですが、町の住民が全く銀杏を意に介さないので、小鳩は寂しさを覚えます。そして追い打ちをかけるような伐採計画。悲しみに胸が詰まった小鳩は、銀杏の移転を主張しますが、銀杏の木は、町の住民を見守ることができて幸せだったと語り、伐採計画を受け入れます。町の人々は銀杏の木を何とも思わないのに、銀杏は町の人々を温かく見守ってくれるとは何とありがたいことでしょう。感謝されることのない、無償の愛です。終盤、銀杏の木が伐採を待たずに倒れ、劇中の台詞では遅かれ早かれ朽ち果てていたと説明されていましたが、私には、銀杏の木が自分の意志で倒れたのではないかと思えてなりません。自分の今までの役目に満足し、小鳩に対しても「延命には及ばない」と伝えるために自ら倒れたのではないでしょうか。

この作品の中心となるエピソードの1つに、保育園に借金取りが催促しに来るエピソードがありますが、借金取りである沖浦和斗(声・三木眞一郎)と宮田(声・森伸)は保育園に対して意地悪ばかりしていました。そんな借金取りに対しても、小鳩は話し合えば分かってもらえると信じ、常に対話を求め続けました。借金取りは悪い人達のように見えましたが、恐らく小鳩はそうは考えなかったのでしょう。
そして第21話「…春の足音。」で、今まで隠されていた事実が判明します。沖浦は、悪者の親分である自分の父親が保育園に介入しないようにしようとしていたと。サン・テグジュペリの『星の王子さま』には「大切なものは目に見えない」という名言がありました。視聴者(私のことですが)には今まで、沖浦の真心という大切なものが見えなかった。しかし小鳩の純真なまなこは、目に見えない大切なものを見抜いていたのでしょう。

第23話「…こばとの願い。」では驚愕の事実が明かされました。小鳩は何と既に死んでいたのでした。しかしお偉いさんとの契約により、傷ついた人の心を癒すことによって得られる金平糖を期限までに瓶一杯に溜めると、生まれ変わることができるという。しかし小鳩は、金平糖を集めることよりも、藤本と一緒にいることを優先します。小鳩は言う。「藤本さんは大切な人です!」そして遂に金平糖集めの期限が来てしまいます。迫りくる小鳩と藤本の別れの時。とその時、土壇場で藤本によって生じた金平糖で瓶が一杯になり、小鳩は消滅して生まれ変わるのでした。
第24話(最終回)「あした来る日…。」では、小鳩が消滅した後の様子が描かれました。保育園のみんなを写した写真から小鳩の姿のみがぽっかりと消え、周囲の人々の記憶からも小鳩のことが失われていました。そんな中、金平糖を見つけた藤本は、小鳩のことを思い出します。
月日は流れ、数年後。弁護士となった藤本は、1人の少女に出会います。「はじめまして」と挨拶する少女。この少女こそ、生まれ変わった小鳩でした。藤本は小鳩に前述の金平糖を渡し、かつて小鳩が歌っていた歌のメロディをピアノで弾くと、小鳩は前世の記憶を取り戻します。実に数年ぶりの再会でした。エンディングに流れた「あした来る日~桜咲くころ」(歌・花澤香菜)は、この名場面にぴったりと合う名曲でした。

放送期間・2009年第4クール~2010年第1クール
製作委員会・明記されず
放送局・日本放送協会
原作・CLAMP(角川書店『月刊ニュータイプ』『角川コミックス・エース』連載)、シリーズ構成・横手美智子/大川七瀬、キャラクターデザイン・加藤裕美、総作画監督・田崎聡、音楽・はまたけし、監督・増原光幸、アニメーション制作・マッドハウス
オープニング主題歌「マジックナンバー」作詞・坂本真綾、作曲/編曲・北川勝利、歌・坂本真綾
エンディング主題歌「ジェリーフィッシュの告白」作詞・岩里祐穂、作曲/編曲・宮川弾、歌・中島愛、「わたしにできること」作詞/作曲・宮川弾、歌・中島愛
挿入歌「あした来る日」作詞・新居昭乃、作曲/編曲・はまたけし、歌・花澤香菜

<出演者>
花戸小鳩・花澤香菜、いおりょぎ・稲田徹、藤本清和・前野智昭、沖浦清花・折笠富美子、三原千歳・桑島法子、堂元崇・神谷浩史、沖浦和斗・三木眞一郎、他

●第8位・・・『クイーンズブレイド 玉座を継ぐ者』
『クイーンズブレイド 流浪の戦士』に続く、分割2クールの後半。物語の本題となる武闘大会・クイーンズブレイドが本格的に描かれました。4年に1回開催される武闘大会・クイーンズブレイドは国の政治を司る女王を決める大会であり、女性が出場する大会となっています。過去2大会を連続で制覇した現女王が、アルドラ(声・竹内美優)という人物です。
2ちゃんねる実況スレッドやmixi等に書き込まれたコメントを見ると、視聴者は自分の好きな登場人物を応援し、好きな登場人物が敗れるととても残念がっていました。本作がなぜこのように視聴者の好評を獲得できたかというと、前作『クイーンズブレイド 流浪の戦士』が登場人物紹介的な前座に徹し、続篇である本作『クイーンズブレイド 玉座を継ぐ者』に本筋を委ねたからではないでしょうか。もしいきなり本筋に突入していたら、各登場人物がどんな人柄なのか視聴者には浸透しなかったでしょう。即ち、もし前作が前座に徹していなかったら視聴者はあそこまで好きな登場人物を応援することはなかったと思います。そういう意味では、本作の分割2クール構成が功を奏したと言っていいでしょう。

主人公・レイナ(声・川澄綾子)は貴族であるヴァンス伯爵(声・斧アツシ)の次女なのですが、姉のクローデット(声・田中敦子)が側室の子供であるのに対しレイナは正室の子供であるため、レイナが次期当主となることになっていました。しかし前作では、レイナが伯爵家の跡取りであるにも拘わらずその自覚に欠けていたことから、クローデッドはレイナに対して苛立ちを抱いていました。だがレイナは、旅先で出会った人々から様々なものを学び取っていたのです。前作『クイーンズブレイド 流浪の戦士』第11話「厳霊~死闘の果て」では、レイナの成長した姿が描かれています。そして本作に至る訳ですが、本作はレイナのみならず多くの登場人物に週替わりで見せ場を与えた群像劇となっていました。以下各話の見所。
第2話「破邪!思いがけない闘い」で女王アルドラは冷徹な口調で、人の心の奥底には他人を恨む心や金銭を貪る心などがあることを喝破するのでした。第2話の序盤に登場したいかにも金にがめつそうな宿屋の主人や、恨みを忘れないニクス(声・田中理恵)の描写と相俟って、俗世間に対する警句となっています。
第3話「炎情!燃え上がる因縁」、第4話「対決!呼び合う絆」ではエキドナ(声・甲斐田ゆき)&イルマ(声・鹿野優以)師弟と、アレイン(声・喜多村英梨)&ノワ(声・高橋美佳子)師弟によるタッグ対決が描かれ、2組の師弟関係が対比されました。実は顔見知りというエキドナとアレイン(2人ともエルフ。エキドナが五百歳なのに対してアレインは千歳だそうな。アレインの方が遥かに若く見えますけど)の指導者ぶりの比較も一興です。2組の師弟の人間模様は対照的でありまして、アレインとノワが強固な絆で結ばれており、ノワが人質に取られた途端アレインが降参したほどであるのに対して、一方のエキドナ&イルマ師弟を見ると、イルマはエキドナをあまり信頼していないようです。ただ、戦闘後の台詞から察するにエキドナはイルマを温かく見守っているようですが。ところで、戦闘中にエキドナが敵であるノワに武術のレッスンを施すかのような場面がありました。そういえば前作の第10話「開眼~竜の一撃」でレイナに武術の特訓を施したのもエキドナでしたね。人の世話を焼くのが好きなのか、エキドナさんは。
第5話「策謀!嘆きの王宮」では死霊のアイリ(声・伊藤かな恵)が意外にいい人(いい霊?)であったことが判明。アイリは、女王アルドラによって両親が石の中に閉じ込められた少年ラナ(声・釘宮理恵)を助け、面倒を見ます。また第5話で女王アルドラは配下の暗殺部隊「牙の暗殺団」に、兄の仇であるアルドラ暗殺の機会を窺うために「牙の暗殺団」に加入していたイルマの殺害を命じます。アルドラは今まで、ことあるごとに悪趣味なシチュエーションを作り出して楽しんでいたくせに、なぜかこの時だけはストレートなやり方であります。
第6話「錯綜!変わりゆく予感」で「牙の暗殺団」の不意打ちをもろに喰らったイルマは大ピンチに陥りますが、そこへ颯爽と現れてイルマを救ったのは師匠のエキドナであった!頼りになるぜ師匠!弟子を案ずるエキドナの思いやりは視聴者の胸を打ちます。しかしエキドナの胸には、エルフである自分の寿命が長いのに対して人間の寿命が短いことから、人間と死別してしまうことへの苦悩があるのでした。その頃、アイリはラナと別れようとしますが、ラナがアイリを慕うので、引き続きアイリはラナの面倒を見ることにするのでした。2人の後ろ姿が微笑ましい。この様子を見たトモエ(声・能登麻美子)とシズカ(声・生天目仁美)も、「全然普通に姉弟に見えます」と呟くのでした。
第7話「氷結!計算外の事態」は、1~7話を通じて最大の山場と言える回です。そこにあったのはシズカがトモエに送った果たし状。かつて武者巫女の暗殺を請け負った忍者集団・甲魔忍軍に属していたものの、抜け忍となって武者巫女トモエに仕えるようになったシズカですが、何と、今までずっとトモエ暗殺の機会を窺うために猫を被っていたという!えええ!?まさか!!ここで、まるで特殊効果スタッフが仕掛けたかのようにシズカの背後で戦隊ヒーロー風の爆発が!!否が応でも盛り上がります。戸惑いながらもシズカを倒すトモエ。ここで真実が明らかに。トモエの弱点は相手に情けをかけることだと見抜いたシズカは、その弱点を克服させるために一芝居打ったのでした(前作の第8話「暗躍~牙の暗殺者」でトモエは牙の暗殺団のメンバー・イルマと遭遇し、仲間の仇を討つために必殺技を喰らわせていますが、とどめを刺さずに逃がしてしまいました。相手に情けをかけるというトモエの弱点は、この辺りにも表れているのでしょうか)。自分の命を捨ててまで主人の弱点を克服しようとしたシズカに涙が止まりません。シズカにとって、甲魔忍軍を抜けてまで仕えようと思ったトモエは、それほどまでに自身の人生を左右する大きな存在だったのでしょう。エンディングでは、いつものエンディング主題歌ではなく、オープニング主題歌が流れました。背景には、シズカの生前の姿が走馬灯のように映し出されます。きっとこれは、トモエの胸の中に生き続けている、思い出の映像なのでしょう。前作のエンディングでトモエが歌っていた「忘れないから、あなたのこと」というのは、まさにこの場面のことを表わしているように思えます。
第8話「慙悸!戦いの天使」では死霊アイリと大天使ナナエル(声・平野綾)が対決。アイリがナナエルにとどめを刺すと思われた瞬間、何とアイリは精気が尽きて消滅してしまうのでした。あと一歩で勝てたのに、非常に惜しい。最後の最後までラナのことを気にかけたアイリは本当にいい人であった。一方のナナエルは、自分の実力で勝った訳ではないのに随分と偉そうな態度をとるのでした。前作の第5話「蘇呪~古代の王女」以来、ナナエルの性格が治ることはなかった。

第9話「衷心!ヴァンス城の決闘」はヴァンス伯爵親子に焦点を当てた回。ヴァンス伯爵とクローデットは、親子なのに「伯爵」「クローデット将軍」と呼び合います。公務を行う上で公私混同をしないのは当然ではありますが、この2人の場合、どこかよそよそしいのは他にも理由があるようです。というのもクローデットは側室の子供であるため、ヴァンス伯爵の充分な愛情を得ることができなかったようなのです。前作の第4話「相克~雷雲の将」でクローデットは少女時代を回想しましたが、この回において、クローデットは次のように呟いていました。
「私は知っていた。父上の微笑みは私には向けられていないことを」

しかし今回、自分の身を犠牲にしてまで父を守ろうとしたクローデットとヴァンス伯爵の間に、遂に親子の情が芽生えるのでした。

第9話後半では、メローナ(声・釘宮理恵)が女王アルドラは人間ではないと指摘します。いよいよ謎に包まれたアルドラの正体に、番組は迫っていくことになります。
第10話「本懐!闘う理由」ではレイナVSトモエという同じ芸能プロダクションに所属する声優同士が対決。レイナと対面したトモエは、鬼気迫る苛酷な修行の果てに、白髪となっていました(戦いの後でなぜか黒髪に戻りますが)。そしてシズカの遺品である輪っかを頭にはめています。どう見てもトモエの方が強そうですし、シズカの死を無駄にできないトモエは絶対に負けられないのですが、何とレイナが勝ってしまいます。これが主人公補正か。一方、メローナ(演じるは釘宮理恵)はラナ(演じるは一人二役の釘宮理恵)に化けて隠密行動をとります。流石はメローナだ!ラナの声の物真似をすることもできるのか(笑)。その他、メナス役としての出番がなくなった後藤邑子は、その他大勢の役で出演しておりました。
第11話「血闘!頂上対決」では女王アルドラの過去が明らかにされました。人間と魔物のハーフであるアルドラは、子供の頃に差別と迫害を受け、幼い妹と共に『砂の器』ばりの放浪を余儀なくされたという。劇中の回想シーンは殆ど静止画だけでしたが、もし姉妹の放浪シーンを描いたら視聴者は号泣必至だったでしょう。アルドラは当時を述懐します。
「人と魔物の混血というだけで疎まれ疎斥せられ人里から追われた。あてもなく放浪する日々」
その後、妹と生き別れになったアルドラは冥界の悪鬼デルモア(声・石田彰)と取引して強大な魔力を手に入れ、力にものを言わせて女王の座に就き、暗殺団を駆使して反対勢力を粛清する恐怖政治を敷きますが、一方で自身の強大な魔力を恐れ、魔力が宿る左腕を常に背後に隠していました。つまりアルドラは自分が生粋の人間であるかのように装っていたのです。恐怖政治を敷く一方で、迫害を受けた苦しみや妹と生き別れになった悲しみがあったというのは、非情な女王アルドラの意外な一面でした。アルドラの出自を聞くと、前作の第6話「約束~森の番人」で描かれたノワのエピソードを思い出します。エルフ達は自分達の村に人間が立ち入ることを嫌っていますが、1人だけエルフと人間のハーフがいました。それがノワです。ノワはその出自ゆえに人間から嫌われ、エルフからも嫌われますが、エルフ族の戦士長・アレインに見出され、森の番人に指名されるのでした。ノワは森の番人の仕事を誇りに思い、自分の居場所を見つけるのでした。その出自ゆえに自分の居場所を見つけられなかったノワを認めたアレインこそ、立派な人格の持ち主と言えましょう。即ち、アレインという良き理解者に恵まれることで、活力を取り戻した訳です。ノワとアルドラは似たような境遇を持ちながらも、現状においては、片や明るい生活を送り、片や殺伐とした日々を送っている。その違いは、理解者の存在ではないでしょうか。ノワに森の番人という役目を与えたアレインに対し、アルドラに戦いの力を与えたデルモア。この違いが、優しいノワと、力で他者を抑えつけようとするアルドラの違いとなってしまったのです。

第11話後半の山場はレイナVSリスティ(声・甲斐田裕子)の対決。前作においてレイナの成長を導いたリスティは、今やアルドラに洗脳された暗殺者になり果てていました。しかしレイナは、世話になった恩返しとばかりにリスティを洗脳から解き放つのでした。お約束の展開ではあるものの、前作からずっとこの番組を見守り続けてきた視聴者にとっては感慨深いものがあります。

最終回に行われるレイナとアルドラの戦いに先だって、賭博屋は2人の戦いを賭けの対象にするのですが、この賭博屋の声がエキドナ役としての出番がなくなった甲斐田ゆき。エキドナはどっか行っちゃったと思ったら賭博屋に転職したのか(笑)

第12話(最終回)「大志!玉座を継ぐ者」で遂に女王アルドラと対決するレイナ。アルドラは戦闘中、公衆の面前でつい魔力を使ってしまったところ、一般大衆に正体がバレてしまい、今までの努力が水の泡になってしまいます。間髪入れずに大衆から魔物呼ばわりされたアルドラは怒りと悲しみを爆発させるのでした。今まで必死に隠してきた事実が露見した時のアルドラの絶望感はいかばかりであったか。アルドラは驚異的な殺傷能力と暗殺団を持ち、実際に多くの人を殺害しているにも拘わらず、自身が人間と魔物のハーフであることが露見するのを恐れているところに、アルドラの心の繊細さが表れているとは言えないでしょうか。相当悪さをしてはいるものの、アルドラは生粋の悪人ではありませんでした。激闘の末にレイナはアルドラを倒しますが、アルドラにとり憑いていたラスボス・デルモアが出現。しかし、ラスボスのくせに弱い……。尺の都合か、あっさりやられてしまいました。ここでトモエがアルドラを助け、「妹君を探すのでしょ!」と励ますのが泣けます。トモエは仲間をアルドラ麾下の暗殺団に殺されたにも拘わらず、アルドラを助け、同情し、激励したのも、アルドラの心の奥底を見抜いたからなのでしょう。

さて、この回は最終回だけあってレギュラー・準レギュラー陣が総登場。まずは、オープニングタイトルバックには初っ端から映っているのに本篇に登場するのは実に第1話以来となる最優秀天使ハチエル(声・菊池こころ)。最優秀天使だけあっておいしい所を持っていきました。一方、出番を奪われた同僚の天使ナナエルは、ラナを助けに現れます。最後の最後にいい人になりましたね。死霊アイリも久々に復活!でも、アイリが精気を吸った女性兵士も可愛かったから可哀相でした。精気を吸われた人はどうなるの?死んぢゃうの?その他、死んだシズカの霊が駆けつけてレイナを激励する場面がありましたが、シズカとレイナはそれほど親しくもなさそうな気が。更に、重傷を負っていたイルマの生存も確認。しかし、イルマが兄の仇であるアルドラの暗殺を企てていた件については言及なし。シズカとイルマに関する疑問を解決するのが、「レイナはみんなの想いを背負っている」という台詞でしょう。アルドラに挑んだレイナはいわば他の登場人物の代表であり、他の登場人物の願いや祈りを一身に背負っているのです。だからこそトモエの想いを担ったレイナをシズカが激励したし、レイナはイルマの分も含めて(2人は面識なさそうだが)アルドラの邪悪なる心を打倒しようとしたのだと考えられます。
最終回のエンディングにおいてアルドラは司祭メルファ(声・大原さやか)の下で修道女となり、本作の物語も幕を閉じました。アルドラはこれからも、放浪の途中で生き別れとなった妹を探すことでしょう……。

そして番組を彩った、横山克の壮大な音楽も忘れてはなりません。因みにどうでもいい話ですが、東京メトロポリタンテレビジョンが作成した『クイーンズブレイド 流浪の戦士』及び『クイーンズブレイド 玉座を継ぐ者』のホームページにおける登場人物紹介の文章の充実ぶり(ネタバレとも言う)が凄すぎる。

放送期間・2009年第4クール
製作委員会・ホビージャパン/メディアファクトリー/AT-X/コミックとらのあな/GENCO
原作・ホビージャパン、シリーズ構成・吉岡たかを、キャラクターデザイン・りんしん、総作画監督・りんしん/野口孝行、音楽・横山克、監督・よしもときんじ、アニメーション制作・アームス
オープニング主題歌「墜ちない空」作詞・木本慶子、作曲/編曲・横山克、歌・ENA
エンディング主題歌「buddy-body」作詞・よしもときんじ/木本慶子、作曲/編曲・林達志、歌・釘宮理恵/後藤邑子/伊藤かな恵

<出演者>
レイナ・川澄綾子、アルドラ女王・竹内美優、ユーミル・齋藤彩夏、ラナ・釘宮理恵、クローデット・田中敦子、エリナ・水橋かおり、ヴァンス伯爵・斧アツシ、トモエ・能登麻美子、シズカ・生天目仁美、ナナエル・平野綾、ハチエル・菊池こころ、天使長・本田貴子、アイリ・伊藤かな恵、メローナ・釘宮理恵(1人2役)、メナス・後藤邑子、セトラ・立木文彦、リスティ・甲斐田裕子、エキドナ・甲斐田ゆき、イルマ・鹿野優以、アレイン・喜多村英梨、ノワ・高橋美佳子、メルファ・大原さやか、カトレア・柚木涼香、ニクス 田中理恵、他

●第7位・・・『CANAAN』
三流ゴシップ雑誌の駆け出しキャメラマン・大沢マリア(声・南條愛乃)が目撃した、激動の事件を描いた作品。マリアは、たとえ辛い事件の直後であってもカナン(声・沢城みゆき)を撮影し、たとえ銃弾を脇腹に喰らってもテロ組織の頭目アルファルド(声・坂本真綾)を撮影するなどのプロ根性を発揮。真実をキャメラに収めようという気概を感じます。そしてこのマリアの姿勢には、最終回終盤のタクシーの場面で語られたように、懸命に生きる人々への真摯な眼差しと敬意が表れています。よくジャーナリズムには「鳥の目」と「虫の目」が必要だと言われますが、本作もまた「鳥の目」と「虫の目」の両面を持った作品でした。「鳥の目」とは際政治情勢を見つめる鋭い眼差し、そして「虫の目」で描かれたのは、登場人物の生き様です。実際に見てみましょう。
第3話「阿断事」によれば、不幸な生い立ちを辿ったカナンは、普通の女の子らしい交遊をしたことがないそうで、大沢マリアとパフェを食べたりして楽しく過ごします。普通の女の子らしい楽しい時間を過ごすことができて、良かった良かった……とは残念ながら問屋が卸さなかった。謎の男によって誘拐され、頭に時限爆弾を設置されたマリアを助けるべく、カナンは男を射殺しますが、何と時限爆弾はただのびっくり箱だったのでした。いとも簡単に人を殺したカナンに対し、礼を言いつつも、しかし戦慄を覚えるマリア。やはりカナンは普通の女の子ではなかった。ここで、先程描かれた2人で仲良くパフェを食べる場面とは対照的に、普通の女の子であるマリアと普通の女の子ではないカナンがいわば別世界の住人であることが鮮明となるのでした。
第4話「呉れ泥む」では中国で貧富の格差が広がっているという台詞が登場していましたが、さりげなく中国の情勢への諷刺を含んでいると言えます。
第5話「灯ダチ」の中心はユンユン(声・戸松遥)。一見あたふたした貧乏アルバイターであったユンユンですが、その正体は諜報部員でありました。上役から、死して任務を全うするよう指示されたユンユンですが、上役が、ユンユンが死ぬことについて何らの感傷をも示さなかったことから、ユンユンはひどく悲しむのでした。犯罪組織の、あまりにも非情な掟であった。上役の態度にショックを受けつつも、懸命に任務を遂行する健気なユンユン。ユンユンは、大沢マリアを人質にしてカナンを誘い出し、カナンと対決しますが、勝負にならず完敗。そしてなぜか、マリアはユンユンを友人として歓迎するのでした。自身を人質にした女と友達になろうとする、マリアの寛大さには脱帽です。それと共に、他人を思いやらない非情な犯罪組織の中で過ごしたユンユンにとっては、人の温かさを感じた瞬間だったことでしょう。ラストにおけるユンユンの晴れやかな表情は、非常に爽やかでした。
第6話「LOVE & PIECE」はテロ描写が前面に押し出され、凄惨な回となりました。テロ行為が勃発する直前、中国で対テロ国際会議が催されて各国の政治家が出席し、アメリカ大統領(と思われる人物)が演説を行います。米大統領は演説の中でテロリストとの戦いは正しい戦いであると礼賛し、鼓舞するのでした。私の個人的見解を申し上げると、この場面には、当時の中国やアメリカに対する痛烈な諷刺が含まれていたような印象を受けました。この番組が放送された当時、中国共産党は独立を目指すウイグル族をテロリストとみなし(今もそうか)、テロリストを撃退するという名目の下でウイグル族全体の人権を蹂躙している節がありましたが、オバマ大統領やクリントン国務長官らアメリカ政府は、中共が人権を蹂躙していることに目をつぶり、中共にすり寄っていました。いわばこの場面は、中国の人権蹂躙と、米国の欺瞞に満ちた二枚舌を批判していたと言えます。
第7話「慕漂」は米大統領らを人質に取ったテロリストと、米政府の緊迫感溢れる戦いを描いた回。全篇に亘って息詰まる劇伴が流れ、手に汗握る作品となりました。殺人ウィルスを用いたテロリストに対し、ホワイトハウスでは米政府高官や軍人が対応を協議。いちいち要人の肩書の字幕が表示されるところが、リアリティーを漂わせています。そして、ウィルス・細菌兵器の恐怖には戦慄を覚えます。さて、人質となった米大統領は、テロリストに対し、「もたもたしていると第7艦隊が台湾海峡を埋め尽くすぞ!」と吠えます。現実の世界では1996年の台湾総統選挙の際に中国がミサイルを発射して台湾を恫喝すると、米軍が台湾海峡に空母を遊弋させたことがありました。もし米海軍第7艦隊が台湾海峡を埋め尽くしたら米中関係に激震が走りそうですが、これはテロリストに対するハッタリなのでしょう。……と思ったら、副大統領ら米政府はとんでもない行動に出た。「テロリストには屈しない」などと言いながら、ステルス爆撃機を出動させたのです。その目的は、大統領らが囚われている中国の国際会議場を空爆し、テロリストも、殺人ウィルスに感染した大統領ら人質も、纏めて抹殺するためでした。そんなことをしたら中共が激怒しそうですが、案外そうでもないらしい。事態を見つめる夏目(声・皆川純子)は中共内部の派閥争いを指摘し、「上海閥にとっては好機」であると分析するのでした。この番組が放送された当時、現実の中国において国家主席の胡錦濤は、前国家主席の江沢民が率いる上海の派閥との派閥争いを繰り広げていましたので、それを踏まえての作劇でしょう。現実の出来事をかなり物語に取り入れており、巧みな政治風刺物語になっていると言えます。
第8話「乞」の目玉はハッコー(声・能登麻美子)。ハッコーは、かつて病院で入院中の少年に話しかけたところ、声のせいでその少年がショック死したことがあり、そのことを気に病んでいたのでした。ハッコーが劇中で全然喋らない理由はここにあるらしい。そんなハッコーですが、新人歌手ネネ(声・高垣彩陽)の屋外コンサートを見て、つい歌を口ずさんでしまいます。と、その時、ハッコーの歌声を聞いた周囲の人々が全員もがき苦しみ始めました。「痛いよママ~」と泣き出す子供。どうやらハッコーの声は人を殺傷する能力を持っているようです。
第9話「過去花」は、ユンユンとハッコーの生まれ故郷を訪ねるエピソード。この街はかつてCIAの人体実験場として使われた、悲しい過去を持っていたのでした。ドキュメンタリータッチで描かれる回想シーンは、直視に堪えません。政府の闇を暴く、リアリティー溢れる描写こそ、本作の真骨頂だと言えましょう。

一方で、かつての部下リャン・チー(声・田中理恵)を殺害せんとするアルファルドに対し、恐怖を覚えたカミングズ(声・大川透)はアルファルドに銃を向けますが、何と銃は銀玉鉄砲にすり替えられていたのでありました。部下の心理を見抜いて手を打っておく冷静なアルファルドに対して、本物と偽物をすり替えられても気づかないほどうろたえているカミングズが、反逆を成功させられる訳がない。結局、アルファルドから銃口を向けられ絶体絶命のピンチに陥ったカミングズは、一言だけ喋る猶予を与えられると、「愛~!」とうわ言(リャン・チーへの愛か?)を口走るのでした。あぁ、カミングズの最期か……と思いきや、アルファルドの銃もまた銀玉鉄砲であった。カミングズより一枚上手のアルファルドは、このままカミングズを生かしておいても自身を脅かすことはないと判断したのでしょう。他を寄せ付けないほどの冷徹さは切れ者の証左であると言えます。
第10話「想執」は、『CANAAN』の中で最も盛り上がる回と言ってよい。かつて人体実験が行われた研究所で、テレビ画面越しにハッコーを挑発するリャン・チーに対し、ハッコーは先程リャン・チーがいた部屋に乗り込み、怒りに任せて例の殺人音波を発しますが、何とそこにリャン・チーはおらず、代わりに縛られたサンタナ(ハッコーが働いているバーの店主。声・平田広明)がいるのみでした。ハッコーの殺人音波で瀕死となるサンタナ。ハッコーがサンタナを殺すという状況を作り出し、巧みに誘導したリャン・チーの鬼畜っぷりが際立っていますが、同時に、この場面は泣ける名場面となりました。ハッコーの声は聞いた者の脳髄に衝撃を与えて殺してしまう性質を持つため、回想シーンでリャン・チーは、サンタナはハッコーの「他愛もない愛の囁き」も聞くことができない、と指摘していました。ハッコーにとっては、愛する者に声をかけることさえできないというジレンマを抱えており、それ故に深い悲しみを湛えていたことでしょう。あまつさえ、自分の声のせいで愛する者を死の淵に追いやってしまった。その悲しみは察するに余りある。サンタナの方は、かつて図らずも人体実験に加担してしまったことから、人体実験の被害者であるハッコーに対しては常に罪の意識を感じ、罪悪感にさいなまれていました。しかしハッコーの「愛してる」という言葉を聞いたことで、死の直前ではあるが、罪のくびきから解放されたと言えます。
第11話「彼女添」の中心となったのは、もはや正気を失ったようにしか見えないリャン・チー。薬品を飲んだリャン・チーは、カナンと同様の状態になり、髪の毛の色素は抜け、視覚や聴覚などからは苦しみを受けてしまうのでした。やむなくリャン・チーを射殺するカミングズ。きっとカミングズは、リャン・チーを苦しみから救うために殺したのでしょう。本作は、2週連続で愛の形を描きました。前回はハッコーとサンタナの愛。そして今回はカミングズからリャン・チーへの愛です。いずれにおいても、「相手を愛しているが故に、愛する者を死なせることになってしまった」という逆説が生じていました。前回においてはハッコーの声に人を殺す力があるため、「愛してる」という声でサンタナが死んでしまった。そして今回の場合は、愛する者から苦しみを取り除くための苦渋の決断だった。報われない愛の悲劇は、視聴者に強い印象を残しました。
第12話「忌殺劣者」は列車が舞台。カナン、大沢マリア、ユンユンは列車に乗りますが、カナンが席を立った隙に、アルファルドはマリアに発砲し、マリアとユンユンを、時限爆弾が仕掛けられた部屋に閉じ込めてしまいました。ユンユンは衰弱したマリアの頼みを聞き、時限爆弾が仕掛けられた車輛から脱出して同車輛を切り離します。カナンを爆発に巻き込むまいというマリアの気持ちが泣けます。時限爆弾の残り時間が30秒を切ったところで次回(最終回)に続く。

第13話(最終回)「キボウノチ」ではユンユンは第5話でマリアから受けた温情を忘れず、華奢な体つきながら命がけでマリアを助けます。そして最終回のラストに実施された、マリアが撮影した写真の写真展には、マリアが出会った人々の人生が収められていたのでありました……。

放送期間・2009年第3クール
製作委員会・明記されず
原案・那須きのこ、シリーズ構成・岡田麿里、キャラクターデザイン・関口可奈味、音楽・七瀬光、監督・安藤真裕、アニメーション制作・ピーエーワークス
オープニング主題歌「mind as Judgment」作詞・畑亜貴、作曲/編曲・上松範康、歌・飛蘭
エンディング主題歌「My heaven」作詞・畑亜貴、作曲/編曲・my、歌・Annabel

<出演者>
カナン・沢城みゆき、アルファルド・坂本真綾、大沢マリア・南條愛乃、御法川実・浜田賢二、ユンユン・戸松遥、カミングズ・大川透、リャン・チー・田中理恵、サンタナ・平田広明、ハッコー・能登麻美子、他

●第6位・・・『うみものがたり ~あなたがいてくれたコト~』
南の島(モデルは奄美大島)の美しい自然を背景にして、女子高生・宮守夏音(声・寿美菜子)の様々な経験と共に、人間の心をも描いた作品。海底に住む人々(海人と呼ばれる)マリン(声・阿澄佳奈)らと、地上に住む人間(空人と呼ばれる)夏音らの交流を描きます。各話の副題に「心」という単語が含まれているように、本作のテーマは「心」です。人間なら誰もが持っている悲しみ、そして人間の心に潜む光と闇から逃げずに正面から受け止めつつ、あるがままの人間の姿を受け容れる作品となりました。

尚、本作は女子高生のひと夏の青春を描いたものでもあり、夏の終わりと共に物語も幕を閉じます。劇中の季節と放送時期が乖離することの多い深夜アニメとしては珍しく季節感を巧みに利用した作品となりました。
ちょっとひねくれたところもある女子高生・宮守夏音は、第3話「近づく心」ではいつも損な役回りばかりさせられていると不満をこぼしますが、周囲の評判は良いようです。また第5話「光を覆う心」では元彼・小島(声・沢城みゆき)のことを今でも思い出す夏音、夏音に対し居丈高に振る舞い小島をゲットしようと狙う大島(声・豊崎愛生)、姉のマリンにまだまだ甘えたい妹ウリン(声・堀江由衣)、ついついウリンに厳しく当たってしまうマリン、そして夏音とマリンの友情という具合に、本作で展開される人間関係の根底には、いずれにおいても人の温かさが含まれており、本作には根っからの悪人がいないのですが、途中から雲行きが怪しくなってきます。
第6話「堕ちる心」では、ウリンは、マリンと夏音に対する不信感を強め、そのまなこは絶望に満ちてしまいます。第7話「離れゆく心」では、ウリンは、まだまだ姉のマリンに甘えたいのに、マリンと夏音が仲良くしているために、マリンと夏音を引き離そうとしているようです。第8話「求め合う心」ではマリンとウリンの幼い頃の回想シーンが登場。昔は仲が良かったのに、今では不信感が覆っているのでありました……。
第9話「愛する心」では、マリンと夏音は心の中に吹っ切れないもやもやを抱えながらも、心の整理をつけようとします。夏音は、過去のことを思い出していました。「邪悪」と言われて苛められたこと。小島に優しくされたこと。そして何かを小島に告げようとする夏音。
第10話「沈黙する心」では画面を黒いセドナの闇なるものが覆い、登場人物の心もまた闇に覆われました。視覚的にも台詞の面でも重苦しい雰囲気が漂います。小島は「人を好きになるのなんて沢山だ!お前なんか好きになるんじゃなかった。」と夏音に言い放ちます。大島もまた鈴木(声・儀武ゆう子)と小島から相次いで冷たい言葉を突きつけられるのでした。人の温かさを拒絶し、更には人と人の交流をも拒絶するかのような村人達。セドナの闇は、無機的とも言われる現代の人間関係を戯画的に諷刺し、現代社会に警告を発していると言えます。番組前半との落差のせいで、より一層、他人との関係を拒絶する冷たさが際立っているとは言えないでしょうか。
第11話「光の心 闇の心」でセドナに闇に侵された海人のワリンはマリンに対し、次のように告げます。
「空人なんか好きになったりするから、こんなことになったのよ。誰のことも好きにならなければいい。この夜から光の心がなくなれば、もう何も苦しむこともない。悲しみもなくなるの。」
この台詞は、前回の小島の台詞と同じ発想です。そしてマリンと夏音(声・寿美菜子)は、海底でセドナの闇の正体に気付くのでした。
「闇の心は、島の人たちが流してきた悲しみ。想いが届かない悲しみや、別れの悲しみ、分かり合えない悲しみ……幾つもの悲しみだったんだ。」
それ故に小島やワリンは、誰のことも好きにならなければ悲しむこともない、という結論に達したのでした。
第12話(最終回)「島の心 人の心」で夏音は、村人やサム、ワリン、市川らが冷たい発言をしていた件について、次のように悟ります。
「きっとお母さんや小島の言葉もセドナに言わされたんじゃない。心の中に隠れてた言葉なんだと思う。誰の心の中にもある小さな闇。」
全て悪役のセドナのせいにしてめでたしめでたし、にしない辺り、本作を単純なストーリーにしないという作り手の意気込みが伝わってきます。唄者は言う。「光と闇が混じり合い人の心となる。」結局、今までのゴタゴタは全て円満に解決して大団円となります。ポジティブな気持ちもネガティブな気持ちも全て含んでこそ人間らしい心だ、という作品全体の結論は、世の中の全ての人を温かく包容するようなラストであり、とてもいい最終回でした。

放送期間・2009年第3クール
製作委員会・松竹/ティー・オーエンタテインメント/ZEXCS/中部日本放送
原作・三洋物産、ストーリー原案・築地俊彦、シリーズ構成・山田由香、キャラクターデザイン/総作画監督・飯塚晴子、音楽・村松健、監督・佐藤順一、アニメーション制作・ZEXCS
オープニング主題歌「violet」作詞・micco、作曲/編曲・菊池達也、歌・marble
エンディング主題歌「透明な祈り」作詞・riya、作曲/編曲・伊藤真澄、歌・伊藤真澄

<出演者>
マリン・阿澄佳奈、宮守夏音・寿美菜子、ウリン・堀江由衣、松本・納谷六朗、小島・沢城みゆき、サム・間島淳司、ワリン・福井裕佳梨、唄者・宮原永海、セドナ・桑島法子、他

●第5位・・・『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st』

魔法少女リリカルなのは The MOVIE

テレビアニメ『魔法少女リリカルなのは』のリメイク。映画館の大スクリーンで見る映画は素晴らしい、と改めて感じさせる1本です。劇伴、映像共に大迫力ですが、圧巻は空中戦の大スペクタクルシーンです。観客に向かって襲いかかってくるような水柱、フェイト・テスタロッサ(声・水樹奈々)の飛翔による衝撃波で次々と割れる窓ガラス、そして画面上を縦横無尽に翔け巡るスピード感。
一方ストーリーも涙なくしては見られません。娘との家庭生活を犠牲にしながら研究活動に従事するプレシア・テスタロッサ(声・五十嵐麗)は、研究がひと段落したら娘とゆっくり過ごそうと考えていました。そんな中で上層部から下る、安全性を無視して実験の実施日を前倒しせよという指令。そして、強行スケジュール故に引き起こされる事故。プレシアの悲しみには胸が痛みます。一方のフェイトも、自身の出自が明らかとなった時の絶望感はとても可哀相だったし、終盤でフェイトがプレシアに語りかけながらもプレシアがそれに応じないなど、ひたすら非情な脚本に徹しました。とにかく最後の最後まで救いのない脚本に、観客の(というか私の)涙腺は緩みっぱなしです。本篇終了後、美麗なカットを背景にしてエンドロールが流れ、水樹奈々の主題歌「PHANTOM MINDS」が響き渡ると、もう胸が一杯になるのでした……。

公開年・2010年第1クール
製作委員会・明記されず
原作/脚本・都築真紀、キャラクターデザイン/総作画監督・奥田泰弘、音楽・佐野広明、監督・草川啓造、アニメーション制作・セブン・アークス、配給・アニプレックス
主題歌「PHANTOM MINDS」作詞・水樹奈々、作曲・吉木絵里子、編曲・陶山隼、歌・水樹奈々

<出演者>
高町なのは・田村ゆかり、ユーノ・スクライア・水橋かおり、クロノ・ハラオウン・高橋美佳子、フェイト・テスタロッサ・水樹奈々、アルフ・桑谷夏子、プレシア・テスタロッサ・五十嵐麗、他

●第4位・・・『ef - a tale of memories.』

ef - a tale of memories.

複数のカップルを並行して描いた作品ですが、特に印象深かったのは蓮治(声・高城元気)と千尋(声・やなせなつみ)のエピソードです。千尋は交通事故の後遺症で13時間しか記憶が持ちません。第5話「outline」で語られた鎖に繋がれた羊の比喩や、第11話「ever forever」でこのことを表現した、画面を2分割して右へ歩く総天然色の千尋と左へ歩く白黒の千尋の構図は、涙を誘いました。本作の宣伝等で多用された惹句に「忘れたくない思い、ありますか?」というのがありますが、まさにこれこそ本作のテーマでありました。オープニング主題歌には英語版と日本語版があるのですが、日本語版の2番の歌詞にも、これと同様の歌詞が登場します。

さて、千尋は小説を書いているのですが、その小説は、蓮治との日々をモチーフにしたものでありました。第11話で執筆されたその小説の最後は、次のような悲しい文言で締め括られていました。
「最後ニカミサマハ 世界ニヒトツ残ッタゴミヲ― 崖カラ捨テタ―」
そして千尋は、備忘録として書いていた日記を学校の屋上からバラ撒いてしまうのでした。この展開はとても切なく悲しい。

第12話(最終回)「love/dream」ではオープニング主題歌が今までの英語版から日本語版に変更。従来とは変更されたタイトルバックにおける、千尋のシルエットが蓮治のシルエットによって救われる描写には、胸を打たれました。そして本篇では、前回千尋がバラ撒いた日記を、泥だらけになりながら探す蓮治。これまでは「13時間しか記憶が持たない」という点ばかりに気を取られていましたが、最終回のクライマックスでは「13時間は記憶が持つ」というそれまでとは逆の発想によって、大団円となりました。
他の登場人物のエピソードでは、第10話「I’m here」のクライマックスが見事でした。それは、公衆電話を用いたみやこ(声・田口宏子)と、携帯電話を用いた広野(声・下野紘)の会話の場面です。テレフォンカードの残り度数が刻々と減っていく様子が焦りを煽っていたのですが、あまりにも静止画が延々と続くので、作画が手抜きに思えてきましたし、まるでラジオドラマのような様相を呈してきました。しかしテレフォンカードの残り度数が少なくなると、劇伴は盛り上がり、静止画かと思っていた風景に朝日が昇るという壮観な光景が繰り広げられました。ちょっと前の手抜き風描写は効果的なフェイントでした。そんな中、広野が「俺はお前のことが……」と言った途端、テレフォンカードの残り度数が尽きてしまいました!まるでコント。みやこがショックを受けると共に画面が白黒になり、落胆ぶりが大いに伝わってきましたが、これだけでは終わらなかった。突然、広野が後ろから「俺はお前が好きだ!」と告げ、画面はまた総天然色に戻るのでした。何と広野は、携帯電話で喋りながら電話ボックスを虱潰しに探していたのでした。これは歴史に残る二重三重のフェイントでした。

そして本作を語る上で忘れてならないのは、作品全体を彩った質の高い映像でしょう。非常に美しかったです。

放送期間・2007年第4クール
製作委員会・ジェネオンエンタテインメント/minori/ムービック/フロンティアワークス/シャフト
原作・minori/鏡遊/御影、シリーズ構成・高山カツヒコ、キャラクター原案・七尾奈留/2C=がろあ、キャラクターデザイン/総作画監督・杉山延寛、音楽・天門/柳 英一郎、監督・大沼心、アニメーション制作・シャフト
オープニング主題歌「euphoric field」作詞・酒井伸和、訳詞・西田恵美、作曲/編曲・天門、歌・ELISA
エンディング主題歌・週替わり

<出演者>
麻生蓮治・高城元気、新藤千尋・やなせなつみ、広野紘・下野紘、堤京介・泰 勇気、宮村みやこ・田口宏子、新藤景・岡田純子、雨宮優子・中島裕美子、他

●第3位・・・『sola』

sola

本作は、オープニング主題歌の壮大な前奏によって始まる番組です。うねるような前奏によって番組本篇に対する期待は、大いに盛り上がります。壮大なオープニング主題歌によって始まる本作は、どこか悲しげなエンディング主題歌によって幕を閉じます。エンディング主題歌の物悲しい後奏によって、しんみりしたものです。実に巧い主題歌の構成でした。

本作の序盤はあまりストーリーが進展しませんが、主人公の姉・森宮蒼乃(声・中原麻衣)が病院を退院するあたりから激動の展開となります。蒼乃が独特の衣装に身を包むのも退院してからです(入院中は病衣姿)。とは言うものの、序盤の何気ない描写の中で、蒼乃が折り紙を折っていたり、人形を身近に置いていたり、主人公・森宮依人(声・岡本信彦)が空の写真ばかり撮っていたり、重要な伏線が張られていました。
この番組のストーリーは、主に夜に進展します。まず、主人公・依人がメインヒロイン・四方茉莉(声・能登麻美子)と出会ったのが夜です。誰も外出しない夜に1人だけ外出し、自動販売機を蹴っ飛ばしていた怪しい人物こそが茉莉であり、初登場の時点で既に尋常ならざる雰囲気を纏っていました。また、誰も外出しない夜に依人が茉莉を学校に案内する場面も、幻想的ムードを漂わせていました。なぜ茉莉は夜にしか行動しないかというと、その理由は、人間ではないからです。茉莉は、夜禍という存在でありました。夜禍とは、夜、人々が眠りについている間に人々の憎しみや悲しみが結集して出来た存在だそうです。夜禍は、日光に当たると身体が燃え上がってしまうため、夜間にしか活動できないのです。そして、主人公の姉・蒼乃も実は夜禍でありました。依人と茉莉が会っていたのは基本的に、誰も外出していない夜間であり、人々が眠りについた夜間がストーリー上重要な意味合いを持っていたということです。エンディング主題歌にも「人々が眠りにつけば~」などと詠われていたものです。尤も放送当時、筆者の地元である首都圏の様子を眺めると、たとえ夜中の3時半であっても自動車が走り回り、マンション等の灯りも赤々と輝いていたものです。つまり、本作のエンディング主題歌で詠われている歌詞とは全く異なって、夜中の3時半でも眠りについていない人々が一杯いる訳ですね。本作の舞台は長崎県長崎市ですから、首都圏とは状況が違うでしょうし、私は長崎の夜がどんなものか全く存じませんが、首都圏住人から見ると、『sola』は日常とはかけ離れた世界の物語なのですが、だからこそ、本作には現代のおとぎ話としての魅力があり、視聴者を惹きつけていたのです。この他に、夜の情景を描いた作画・美術も特筆すべきところです。夜空や、夜の風景を、切なさを伴いながら情感たっぷりに描いていました。これら作画・美術が、言葉にできない力で視聴者に訴えかけていたのです。
前述のように、本作のストーリーが進展するのは後半になってからです。400年前、茉莉と蒼乃は友人同士でしたが、確執が生じてしまいました。しかし、400年の時を越えて遂にその確執に終止符を打ったのです。登場人物の悲しみも、視聴者の胸を打ちました。以上のように、ロマンチックな要素、悲しい要素、怒りの要素などが入り混じって、本作は現代のおとぎ話と呼ぶに相応しい作品となったのでありました。

余談ですが、NECビッグローブの『キミキス pure rouge』特設サイトで、能登麻美子の代表作が『地獄少女』『sola』、中原麻衣の代表作が『舞-HiME』『sola』と紹介されていました。 また、第3位の作品と第4位の作品の一部スタッフが重複しているのは全くの偶然であり、他意はありません。

放送期間・2007年第2クール
製作委員会・バンダイビジュアル/ランティス/博報堂DYメディアパートナーズ
原案・久弥直樹、シリーズ構成・花田十輝、キャラクター原案・七尾奈留、キャラクターデザイン/総作画監督・古賀誠、音楽・藤間仁、監督・小林智樹、アニメーション制作・ノーマッド
オープニング主題歌「colorless wind」作詞・畑亜貴、作曲/編曲・大久保薫、歌・結城アイラ
エンディング主題歌「mellow melody」作詞・畑亜貴、作曲/編曲・小高光太郎、歌・Ceui

<出演者>
森宮依人・岡本信彦、森宮蒼乃・中原麻衣、四方茉莉・能登麻美子、石月真名・本多陽子、石月こより・清水愛、辻堂剛史・藤原啓治、神河繭子・金田朋子、他

●第2位・・・『夏目友人帳』

夏目友人帳

妖怪が見える少年・夏目貴志(声・神谷浩史)の周囲で妖怪達が巻き起こす出来事を描いた作品。この世知辛い世の中で、妖怪達は、現代人が失ってしまったものを教えてくれます。以下に各話のコメントを記します。

第2話「露神の祠」では現代人が超自然的なものへの畏怖を失っている様子が描かれました。しかし、だからと言って現代人の精神性を嘆くのではなく、昔ながらの“見えないもの”が消えゆく様子のみに焦点を当てることによって、切ないエピソードに仕上がりました。途中、恐ろしい妖怪が出現しましたが、あの妖怪も、“見えない超自然的なもの”を何とも思わない現代人(と言っても夏目の祖母・レイコの高校時代だから数十年前だが)のために、悲しい立場に置かれていたのでしょう。尚、「夜は明るいから妖怪に会えない」という趣旨の台詞が登場しましたが、この手の発想は、水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』と同じような発想ですね。

第3話「八ツ原の怪人」。少年時代の夏目は周囲の人々から疎まれて寂しさを感じていましたが、そんな中、公園で女性に声をかけられるのでした。夏目がその女性と話していると、近所のおばさんから「1人で何してるの?」と言われ実はその女性が妖怪であったことが判明します。一人ぼっちの夏目に声をかけた心優しい妖怪と、夏目の交流を描いた心温まる場面です。また、「姿が見えているからといって存在するとは限らない」という台詞が、この番組独特の幻想性を醸し出していました。

第4話「時雨と少女」は学校の旧校舎で肝試しする話。映画『学校の怪談』も、スーパーファミコンソフト『学校であった怖い話』も、テレビアニメ『学校の怪談』も、幽霊が出現する場所は旧校舎でした。どうも学校の旧校舎というのは、少年少女にとって身近にありながらも近寄ることのない不気味な異空間、言い換えれば日常にある非日常という性質があり、それ故に心霊スポットとしてうってつけの場所なのでしょう。

本作では案の定、旧校舎に妖怪が出現。不浄と恐れられるその妖怪は、たまたま或る生徒の落し物を拾ってあげたところ、その生徒から感謝されるのでした。
ところでこの回は、人間の身勝手さが浮き彫りにされています。人間が一方的に妖怪に対して「不浄な存在」と決めつけたり、「肝試し」と称して妖怪の住処にずかずかと踏み込んで妖怪の安息を妨げたり。さぞや妖怪は人間に対して怒っているでしょう。しかし感謝されたことについては、「不浄だ」という念以外の念を受け、きっと妖怪も嬉しかったことでしょう。
第5話「心色の切符」では夏目と妖怪が廃線となった線路を辿ります。今となっては過去のものとなってしまった遺物を辿ることによって、夏目の祖母レイコ(声・小林沙苗)の足跡を辿ることにもなり、疑似タイムスリップとも言うべき情緒を醸し出していました。
第6話「水底の燕」からは3週連続で傑作が続きます。『帰ってきたウルトラマン』の「11月の傑作群」(←この用語も賛否両論がありますが)ならぬ『夏目友人帳』の「8月の傑作群」であります。今回はダム建設のために廃村となった村で夏目が妖怪を目撃するところから始まります。前回は廃線となった線路が登場しましたが、本作は、このような過去の遺物が隠し味となって郷愁を醸し出しています。妖怪の描写を通して、人間はこれらの遺物と共に、優しい心も過去に置き去りにしてしまったのではないか、と思わせるところがあります。

第7話「子狐のぼうし」は子狐の少年(声・矢島晶子)を描いた、名作の誉れ高い1本。他の妖怪から「役立たず」などと苛められる子狐ですが、雨に降られて困っている夏目に葉っぱの傘を差し出し、自分も人の役に立てると喜びます。更に子狐は人間に化け、勇気を出して遠出します。弱気でいじめられっ子だった子狐が、人の役に立つことで自信を深め、少しずつではあるが成長への1歩を踏み出す様子は、視聴者の胸を打ちます。本篇終了後の提供画面のチョイスも感動的でした。

第8話「儚い光」は『夏目友人帳』の中でも随一の名作。人間の男性(声・浜田賢二)と蛍の妖怪(声・桑島法子)は仲良くなりますが、或る時、男性は妖怪が見えなくなってしまいます。ゲームソフト『ドラゴンクエストⅤ』でも主人公が子供の頃は妖精が見えたのに大人になったら見えなくなったというエピソードがありましたが、見えていたものが見えなくなるというのは寂しいものです。蛍の妖怪は、もう1回男性に自分の姿を見てもらうため普通の蛍に戻りますが、それは即ち、普通の蛍と同じ寿命になってしまうことを意味していました。自分の命を投げ打ってまで人間に会いに行く蛍の想いに、一途な純情さを感じます。この番組を見るといつも思うのですが、現代の人間が見失ってしまったものを劇中の妖怪達は持ち続けているように思えてなりません。

ところでよく考えてみると、第6話「水底の燕」、第7話「子狐のぼうし」、第8話「儚い光」と3週連続で妖怪が人間に会いに行く話なんですね。そして妖怪が人間界に足を踏み入れるにあたって、第6話では袢纏を身にまとい、第7話では飴玉(のようなもの)を食べ、第8話では普通の蛍に戻った訳ですが、人間の目には見えない妖怪でも第6話の袢纏を着れば人間にも見えるようになるのなら、蛍の妖怪にも貸してやってくれれば……。
第9話「あやかし祓い」では名取周一(声・石田彰)とその付き人(?)妖怪の柊(声・雪野五月)が登場。縛り付けられていた柊を助けた少年時代の名取は、優しい心の持ち主だったのでしょう。妖怪を助けようとする心に打たれた柊は、名取を慕うようになります。本作の劇中においても妖怪を毛嫌いする人が多いと思いますが、そんな中で、妖怪に温かく接する少年時代の名取のような心こそ、人間と妖怪の共存を描いた本作において必要とされるものでしょう。
第10話「アサギの琴」はゲストとして伊丸岡篤と能登麻美子が登場。ラストにおいて琴が美しい音色を響かせたのは、アサギ(声・能登麻美子)の技能だけでなく、アカガネ(声・伊丸岡篤)の「良い琴を作ってあげたい」という想いが琴に込められていたからなのでしょう。
第13話「秋の夜宴」の題名は秋ですが(『夏目友人帳』最終回の本放送は秋だった)、今回描かれたような祭りは夏の風物詩でもありますので、2009年の再放送は時期的にはタイムリーなものとなりました。流石に最終回だけあって、名取周一、田沼要(声・堀江一眞)、委員長(声・沢城みゆき)、子狐、民子(第11話ゲスト。声・石毛佐和)、ヒノエ(第12話ゲスト。声・岡村明美)、柊ら今まで登場したキャラクターが大挙して登場しました。

さて、祭りにやってきた子狐の妖怪ですが、普通の人間には普通の狐にしか見えないんですね。そこで、妖怪が見える人からの視点(視聴者の視点はこれ)と、妖怪が見えない人からの視点が交互に描かれました。そういえば『続夏目友人帳』のオープニングでも、序盤における妖怪が見えない人からの視点と、終盤における妖怪が見える人からの視点を対比させていましたね。今回にしても『続』のOPにしても、人間の目に見えるものだけが世界の全てではないというファンタジー性をよく表わしていたと思います。

放送期間・2008年第3クール
製作委員会・明記されず
原作・緑川ゆき(『月刊LaLa』連載)、シリーズ構成・金巻兼一、キャラクターデザイン・高田晃、妖怪デザイン・山田起生、音楽・吉森信、監督・大森貴弘、アニメーション制作・ブレインズ・ベース
オープニング主題歌「一斉の声」作詞・椎名慶治、作曲・TAKUYA、編曲・TAKUYA/h-wonder、歌・喜多修平
エンディング主題歌「夏夕空」作詞/作曲・江崎とし子、編曲・羽毛田丈史、歌・中孝介

<出演者>
夏目貴志・神谷浩史、ニャンコ先生・井上和彦、夏目レイコ・小林沙苗、藤原塔子・伊藤美紀、藤原滋・伊藤栄次、名取周一・石田彰、田沼要・堀江一眞、他

●第1位・・・『劇場版 CLANNAD』

劇場版CLANNAD

ゲームソフト『CLANNAD』のアニメ映画版。テレビアニメと同時期の公開ですが、テレビと映画はそれぞれ独立した作品であり、続き物と言う訳ではありません。ストーリーは重複しています。
本作は映画の上映前から、いきなりかっ飛ばしてきました。登場人物・坂上智代(声・桑島法子)が「池袋シネマサンシャイン(引用者註・筆者が鑑賞した映画館)に来てくれたみんな、携帯電話の電源を切らないと木刀をお見舞いするぞ!」などと言っていたのです。

まず指摘すべきは、この映画はヲタク向けハーレム萌えアニメではないということです。物語の中心人物は男2人、女1人となっています。

映画の前半は、高校を舞台にした学園もの。病弱な少女が、バスケットボールの選手生命を断たれた少年と、サッカーの選手生命を断たれた少年を巻き込んで演劇部の再建に打ち込む姿に、心打たれました。挫折した2人の少年を能動的な少女が引っ張る姿は、少年のすさんだ心の再生と、少女の生きた証という2つの意味で、観客に感動を与えました。前半が学園ものだったのに対し、後半は登場人物が社会人になった後の話となります。場面転換の仕方は、昭和27年の映画『生きる』みたいですね。上映時間105分の1本の映画に、高校時代と社会人時代の2つのエピソードを詰め込むのはなかなか時間的に厳しく、2つのエピソードが空中分解する危険性を孕んでいましたが、主人公と父親のぎくしゃくした関係と、主人公と娘のぎくしゃくした関係が対比されており、ラストに主人公が娘に対して親心を見せてめでたしめでたしとなります。終盤、主人公の父親は主人公に対して親心を見せましたが、主人公は父親に対して結局最後まで心を開きませんでした。この点が原因で、主人公と父親の関係の描き方が消化不良だったように思えなくもありませんが、単純な大団円にはしなかったのでしょう。

本作で印象深い要素として、出崎統監督の作詞、劇伴担当者猪股義周の作曲による、劇中世界のアニメ『だんご大家族』の主題歌があります。このメロディが劇中の随所に流れるのですが、ただそれだけで泣けてきます……。また主題歌「メグメル」はゲーム版ともテレビアニメ版とも違うバージョンなのですが、私は劇場版のバージョンが一番好きです。弦楽器の切ない伴奏や、サビ直前の盛り上がりが素晴らしかった。

公開年・2007年第3クール
製作・東映アニメーション/フロンティアワークス・
原作・ビジュアルアーツ、脚本・中村誠、キャラクター原案・樋上いたる、キャラクターデザイン・門之園恵美、作画監督・大西陽一、音楽・猪股義周、監督・出崎統
主題歌「メグメル」作詞・riya、作曲・eufonius、 編曲・kiku、歌・riya
挿入歌「だんご だんご だんご」作詞・出崎統、作曲/編曲・猪股義周、歌・付属光坂高等学校在校生

<出演者>
岡崎朋也・中村悠一、古河渚・中原麻衣、春原陽平・阪口大助、岡崎直幸・中博史、岡崎汐・こおろぎさとみ、坂上智代・桑島法子、藤林杏・広橋涼、他

(文・写真:コートク)