【おたく温故知新】第四回 江戸のフルアクションフィギュアこんにちは。のんびり、まったりとしたペースで、現在のおたく表現に関するルーツ等に考察を加える、咲村珠樹の「おたく温故知新」でございます。4回目は、フィギュアについてのお話です。

現在、秋葉原や大須、日本橋など、各地のホビーショップでは、さまざまなフィギュアが売られています。出始めた1980年代では固定ポーズが当たり前だったんですが、現在は当たり前のように様々なポーズがとれるようになってますね。


しかも、なるべく関節が目立たないように、パーツ分割やジョイント部品の作りに趣向を凝らしていたり。いわゆる「フルアクションフィギュア」全盛であり、世界各国のおたくの皆さんにも大好評のようです。

このようなアクションフィギュア、ちょっと年代が上がると「ミクロマン」とか「変身サイボーグ」などが思い浮かぶんじゃないかと思います。更に年代が上がると、アメリカ産の「G.I.ジョー」とかで遊んだ記憶があるかと。
現在のアクションフィギュアというものは、このG.I.ジョーが源流となり、日本人のこだわりによって、ここまで発展してきた訳ですが、その「日本人のこだわり」のルーツはどこにあるのか……というところを探っていきたいと思います。

今は全くと言っていいほど作られてはいませんが、江戸時代に「自在置物」という金属製の置物がありました。自在とは「ポージングが自在」という意味。可動式の置物だった訳です。

この自在置物、主に明珍家などが得意にしていました。茶道のたしなみがある方なら、明珍と言えば「火箸」と思うかもしれません。しかし明珍家は、江戸時代までは甲冑師として姫路藩主・酒井家などに代々仕えていました。ゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズでは、鎧のアイテムで「明珍具足」があるので、プレイ経験のある方なら、その点もご存知かと思います。

甲冑師というのは、当時に於いては金属加工の専門家として、高い技術を持っていました。特に戦国時代からは、鉄砲が登場したせいで今までの皮革製の小札(こざね)を主体とした大鎧から、金属を多用した当世具足へと甲冑が進歩し、金属加工の部分が多くなっていきます。また、より装飾性の高いものも増えていきました。武将らは競って華麗な装飾を施した兜などを仕立て、それにともない甲冑師の技術も向上していったのです。

ところが江戸時代に入り、太平の世の中になると、戦がない分甲冑の出番が無くなります。新規で注文される機会は、将軍への献上品だったり、大名の婚礼などといった大きな儀式くらいに激減してしまいました。甲冑師の主な仕事は、製作から修復へとシフトしていきます。

新規製作に較べると、修復の手間賃は低くならざるを得ません。自転車屋さんなんかもそうですね。新車販売と修理では、売り上げが全然違います。しかもかかる手間はあまり変わらないのですから、甲冑師にしてみれば収入減につながります。

そこで、武家、それも大名など裕福なところだけが顧客層になっている甲冑だけでなく、町人など、より多くの顧客が望める置物製作なども、甲冑師は手がけるようになりました。もとより兜や刀の鍔など、繊細な加工は大の得意。きわめて細密かつ美しい置物を作り、もうひとつの事業の柱となっていきます。

細密な置物を作っていくと、それはまるで実際の生物などに生き写しで、今にも動き出しそう。

「どうせなら、これが動いたらもっと面白いんじゃない?」

誰が言ったかは判りませんが、恐らくこのような発想で、関節が動く「自在置物」が誕生したんじゃないかと思うのです。

自在置物が誕生すると、恐らくかなりの驚きを持って迎えられたのではないかと思います。実際に目にした人から「あのようなものを」とか「あれよりもっとすごいものを」といった注文が、職人になされたことは想像に難くありません。
職人同士でも競い合うように、より本物のように動く作品が生まれるようになっていきます。
幕末から明治にかけては、これらの技術が恐竜的に発達し、ほんとうに「金属でできた生物」のような自在置物が生み出されるようになっていました。

実際目にすると、素晴らしいものばかりです。蛇にいたっては滑らかに身体をうねらせ、とぐろを巻くことすらできるんですよ。しかも現存する自在置物の優品を見ると、どこに可動部分の構造(ピンなど)があるのか、ちょっと見には全く判らないほど巧妙に作られています。まさに現在のフルアクションフィギュアのよう。

これらの可動部に関するアイディアやテクニックは、どうも職人個人の「企業秘密」だったらしく、明確な記録が残っていません。分解して調べようにも、どこから分解していいか判らないといった有様です。

困ったことに、この「本物そっくりに動く」という特性から、やはり所有者らが色々動かしてみるためか、壊れてしまったものが多くあります。いじりたおすせいで手あかや汗がつき、金属が腐食するのも原因ですが、先述したように「構造がよく判らない」部分があるため、修復が非常に難しい現状があり、なかなか完全な姿をとどめる優品が少なくなっています。

むしろ、日本土産として珍重されたり、明治期の殖産興業の一環として海外に輸出したりしたせいで、特にヨーロッパに作品が多くあり、コレクターも集中しています。これは根付けや浮世絵でも同じことがいえますが……。

これら自在置物は、昭和恐慌や戦争により、職人が失われてしまったこともあって、残念なことに流れは絶えてしまいました。自在置物だけでなく、明治期までにあった驚異的な細密金属加工技術も、多くが失われてしまっています。

現在、自在置物の優品は、東京では大倉集古館、そして京都の清水三年坂美術館には、特に優れた作品が多数収蔵されています。清水三年坂美術館の館長さん(電子部品メーカー、村田製作所創業者の息子さんです)は、海外でその魅力を知り、オークションで海外に流出した優品をコレクションされた方であり、日本に於ける自在置物のナンバーワンコレクターとも言える存在です。機会があればぜひ、自在置物の素晴らしさを目にして頂ければ……と思います。

◆大倉集古館
https://www.shukokan.org/
◆清水三年坂美術館
https://www.sannenzaka-museum.co.jp/

■ライター紹介
【咲村 珠樹】

某ゲーム誌の編集を振り出しに、業界の片隅で活動する落ちこぼれライター。
人生のモットーは「息抜きの合間に人生」
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