「うちの本棚」、今回からあるテーマ・アイデアの作品を紹介していきます。まずは倉多江美の『五十子さんの日』。シニカルな笑いで少女漫画界に新風を吹き込んだ作家でもあった倉多。このセンスはいまでも色あせてはいないでしょう。
倉多江美と言えば、山岸凉子が『天人唐草』や『メドゥサ』といった作品を発表する少し前『パラノイア』や『エスの解放』といった心理学や哲学を少女漫画に持ち込んだ作家であるが、初期はシニカルなジャグ作品を得意とした。本作はそんな時期のものである。


大資産家でありイタズラ好きな祖父によって、女子生徒として高校に通うことになってしまった九十九十寸(つくもとき)という少年が主人公。卒業まで女装で過ごせば祖父の遺産が転がり込むという話だったのだが、実は…というのが「ぱあと1」。いきなり女装させられて女子生徒として転校させられた学校で、どこか女装を楽しんでもいるあたりが面白かったりする。

最近では「男の娘(オトコノコ)」とか「化粧男子」などという言い方で女装を楽しんだりする男子が増えていたり、そういった男子を好む女子がいたりするけれど、本作が発表された当時にはそういった社会情勢ではなかった。にもかかわらず、この時期、同じようなテーマ・アイデアの漫画作品がいくつか集中して発表されているのが興味深い(本作以外のものについては今後取り上げていく)。

少女漫画で、男子が女装するという展開であれば少なからず倒錯的な内容になりがちだと思うのだけれど、本作に限ってはそのような味付けは微塵もない。というとちょっと語弊があるか。女装した十寸=五十子を好きになってしまう男子がいたりするからだ。とはいえこれも「女性である五十子」が好きになるのであって、倒錯したものではない。
「ぱあと1」のラストで女装しなくてもよくなった十寸は、男子に戻って登校を決意するが「ぱあと2」では、男子として登校した十寸の前に、五十子という女子生徒が現れてしまう。またまた祖父のイタズラかと十寸は祖父の元に怒鳴り込むのだが…。

いったん女装をやめた十寸はニセものの五十子の正体を暴くため、ふたたび女装することになる。ここでは犯人追及ということのために女装するのであって、女装を楽しむということはもはやない。

この時代(というとオーバーか?)まだ女装をファッションとして楽しんだりする心理は男子にはなかったのかもしれない。

初出/「JOTOMO」1976年7月号、8月号
書誌/倉多江美傑作集1「五十子さんの日」(小学館)
     倉多江美作品集1「ジョジョの詩」(小学館)

■ライター紹介
【猫目ユウ】

フリーライター。ライターズ集団「涼風家[SUZUKAZE-YA]」の中心メンバー。
『ニューハーフという生き方』『AV女優の裏(共著)』などの単行本あり。
女性向けのセックス情報誌やレディースコミックを中心に「GON!」等のサブカルチャー誌にも執筆。ヲタクな記事は「comic GON!」に掲載していたほか、ブログでも漫画や映画に関する記事を掲載中。