第二次世界大戦中、ナチスドイツに侵攻された国々では、そこから逃れた人々が義勇兵となり、ドイツと戦いました。そのうちのひとつ、亡命ポーランド人によるイギリス空軍飛行隊で運用されたC-47ダコタ(ダグラスDC-3の軍用版)輸送機「スピリット・オブ・オストラ・ブラマ」が、保管されていたカナダからポーランドの博物館へ寄贈されることになり、2019年3月8日(現地時間)にカナダのウィニペグで記念式典が行われました。

 このC-47「スピリット・オブ・オストラ・ブラマ(Spirit of Ostra Brama)」は、1943年にアメリカのオクラホマ州オクラホマシティーの工場で製造されました。翌1944年1月24日付でイギリス空軍の保有する人員輸送機(識別記号:FL547)となり、1944年7月から9月にかけ、自由ポーランド軍のカジミエルズ・ソスンコウスキ最高司令官の専用機として、ポーランド人パイロットのジョゼファ・ティズコ率いるポーランド人クルーが乗り組んで任務に当たりました。

 「オストラ・ブラマ(Ostra Brama)」とは、ポーランド語で「夜明けの門」という意味。ナチスドイツのバルバロッサ作戦で占領されたヴィルノ(現在はリトアニア共和国の首都ヴィリニュス)にある、16世紀に作られた城壁の門の名前です。この門を含む旧市街地は1994年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。門の名前であると同時に「この戦いの果てにポーランドがナチスドイツからの支配から脱し、夜明けを迎えられるように」という意味も込められていたといいます。

 通常イギリス空軍のC-47は、つや消しのオリーブグリーンで塗装されていますが、この「スピリット・オブ・オストラ・ブラマ」はその塗色とイギリス空軍の国籍標章(ラウンデル)のほか、コクピット窓後方にポーランド空軍を示す赤と白の紋章が追加されていました。このあたりは、同じくイギリス空軍の亡命フランス人による部隊で使用された飛行機に、シャルル・ド・ゴールの「自由フランス」のシンボルであるロレーヌ十字が描かれていたのと同じようなものといえます。

 第二次大戦後、イギリス空軍所属のC-47の多くは民間航空会社へ払い下げられました。「スピリット・オブ・オストラ・ブラマ」もカナダの航空会社へと払い下げられ、民間機としての登録記号「CF-TES」として1970年の登録抹消まで飛び続けました。その後1974年に設立されたマニトバ州ウィニペグにある西部カナダ航空博物館(現:王立西部カナダ航空博物館)の所有となり、長い眠りについていました。

 この機体の来歴が判明し、貴重な機体だとしてカナダ空軍に保存のため移管されたのは2002年のこと。以来、ウィニペグ空軍基地の第17航空団で保管されてきました。しかし登録抹消から長期間経過し、その間に機体は荒廃していました。コクピットの計器類は失われ、操縦輪もなくなっています。


 ボランティアの手により、すべての塗装を剥がして損傷状態をチェックしたのち、胴体にイギリス空軍在籍時のマーキングと「スピリット・オブ・オストラ・ブラマ」の名前が書き込まれたのは2016年10月のこと。そしてこのたび、ゆかりの地であるポーランドに運ばれ、歴史を物語る飛行機としてワルシャワにあるポーランド軍事博物館で展示されるべく、さらなる修復作業が行われることになったのです。


 在カナダポーランド大使館のチョレウィッツ氏は式典で「第二次大戦中における重要な将軍の専用機だったこの飛行機がポーランドへやってくるというのは、非常に喜ばしいことです。そしてこれはポーランドとカナダの友好の証でもあります」と喜びを語っています。

 在アメリカポーランド大使館の駐在武官、ブディニャク大佐は「これは戦争中、我が国の最高司令官を運んだ唯一の機体です。歴史的観点から見ても、このC-47がポーランドの博物館、ワルシャワの軍事博物館に収蔵されるのは、非常に素晴らしいことだといえるでしょう」と語っています。

 送り出す側であるカナダ空軍第17航空団司令のシャロン大佐は「これは非常に幸運なことでした。ダイヤモンドの原石のようなもので、何度も書簡のやり取りをしながら輸送に関する準備を進めました。そしてようやく輸送に関しての問題が解消され、今日のこの日を迎えることができたのです」と、この機体をポーランドへ移管するまでの日々を振り返っています。

 C-47「スピリット・オブ・オストラ・ブラマ」は、2019年3月9日、アントノフ輸送機に積載されてワルシャワへと輸送されました。修復作業が行われたのち、ワルシャワのポーランド軍事博物館で展示される予定です。

Image:RCAF

(咲村珠樹)