日本で最も多く生産され、第二次大戦を通じて各地の戦場で活躍した「ハ号」こと、九五式軽戦車。「チハ」こと九七式中戦車と並んで日本の主力戦車でしたが、日本国内にはこの戦車が原形をとどめる形では残っていません。そこで、海外に残存するこの戦車を日本の機械技術遺産として里帰りさせようというプロジェクトがNPO法人の手で始まっています。イギリスで保存されているものを修復し、日本まで移送する資金の一部を調達するクラウドファンディングが2019年1月30日から開始されました。

 三菱重工によって開発され、1935年に正式化された九五式軽戦車。旧日本陸軍における機械化部隊の中心的存在として、1943年の生産終了まで全部で2738両が生産されましたが、多くが戦闘中に破壊されたり、放棄されたりしています。日本国内に残存したものは、スクラップにされたほか、一部が砲塔や武装を撤去されてブルドーザーなどの建設機械へと姿を変え、戦後の復興にも役立ちました。

現役当時の九五式軽戦車。後方は九七式中戦車

 このような戦後の経緯もあり、日本国内では九五式軽戦車の姿を見ることはできません。アメリカやヨーロッパなど海外では、多くの人を傷つけた軍用機や戦車などの兵器もまた「人間が生み出した機械遺産」であり、貴重な産業遺産として位置付ける考え方があり、国や自治体、民間の有志によって貴重な軍用車両や軍用機が動態保存されています。その中には日本のものもあり、今もアメリカの空を飛び続ける零戦が里帰り飛行を行ったこともありました。

 日本でも、同じ目的で「機械技術遺産」として日本の生み出した各種防衛装備品を収集、展示する博物館設立を目指すNPO法人「防衛技術博物館を創る会」が存在します。富士山を望む静岡県御殿場市にあるこのNPO法人は、趣旨に賛同する600名の会員のほか、国会議員や地元の御殿場市議会議員による議員連盟なども組織され、これまでに京都府で発見された日本初の本格的4輪駆動車「くろがね四起(九五式小型乗用車)」前期型を動態復元するなどの活動を行ってきました。

 今回里帰りを計画している九五式軽戦車は、あるイギリス人O氏が所有する個体。実はこの個体は、1981年に元アメリカ軍人の好意により、ミクロネシア連邦のポンペイ島(旧称:ポナペ島)から一度は日本に返還されたもの。1986年から京都嵐山美術館に展示されていたことがあり、筆者も目にしたことのあるものです。1991年に京都嵐山美術館が閉館したのちは、和歌山県の南紀白浜ゼロパークへと移管されたのですが、ここも2004年に閉館。行き場のなくなったところをO氏が買い取り、現在まで戦車修復のプロがいるポーランドで10年余りの歳月をかけて、少しずつ修復作業を進めてくれていたのです。

修復中の九五式軽戦車操縦席


修復前の三菱A6120VDe空冷直列6気筒ディーゼルエンジン

 O氏から修復の支援と購入を打診され、有志による寄付1000万円でエンジン(三菱A6120VDe空冷直列6気筒ディーゼルエンジン)のオーバーホールを行い、試運転する段階にまでこぎつけることができました。とはいえ、修復作業はまだまだ途上。さらに修復を進める費用、そして日本への里帰りを果たすための購入資金が、合計で1億円かかるといいます。そのうちの5000万円をクラウドファンディングで調達しようということになったのです。

外見は修復されたが内部はまだ修復途上

 クラウドファンディングサイト「Readyfor」での募集期間は、2019年1月30日の16時~2019年4月30日の23時。支援コースは5000円、1万円、10万円、100万円の4種類あり、リターン品はお礼メールや修復状況のメール報告のほか、プロジェクト完了後に作成する修復から完成までを記録した小冊子、九五式軽戦車が装着していたオリジナルの履帯1枚がコースに応じて提供されます。

 このクラウドファンディングは、期限内に目標金額が集まらなければ全額返金となる「All-or-Nothing」方式。NPO法人「防衛技術博物館を創る会」では、この九五式軽戦車を日本のディーゼルエンジン史における重要な技術遺産と位置付けています。戦争は時に、技術を大きく発展させるきっかけにもなるもの。当時の技術を注ぎ込んで開発された貴重な機械遺産が、日本に再び戻ってくることができるのでしょうか。

情報提供:NPO法人「防衛技術博物館を創る会」

(咲村珠樹)