2016年7月29日、東宝の新作怪獣映画『シン・ゴジラ』が公開されました。総監督・脚本は庵野秀明、本篇監督・特技監督は樋口真嗣、准監督・特技総括は尾上克郎。

 本稿は、過去の特撮映画を参照しながら『シン・ゴジラ』の特徴を論評するものです。ストーリーの途中までについて言及致しますので、ご了承の上でご覧戴きたいと思います。

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『シン・ゴジラ』ポスター

 本作のポスターのキャッチコピーに書かれているのは「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)。」。この一言が映画の特徴を端的に表しています。即ち本作は、現実世界のニッポンが、ゴジラという虚構の存在が出現したらどう立ち向かうのかをシミュレートした作品となっております。

 振り返ってみれば怪獣映画というのは、大なり小なりシミュレーションの要素を含んだ作品と言えます。なぜならば怪獣という現実には存在しない生物を映画内で描くにあたり、怪獣という存在のリアリティーを観客に感じさせるためには、何らかのシミュレーション要素が必要だからです。ここで言うシミュレーション要素というものは、ストーリーの中で大きな比率を占めたり、台詞で言及されるだけだったり、描かれ方の目立ち具合は大小様々です。

 例えば日本の巨大怪獣映画の第1作である昭和29年の『ゴジラ』(本篇監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二)では、通行人の「補償問題どうなりました?」という会話が聞こえてきますが、これは、ゴジラが日本近海を遊弋することに伴う漁業問題について話し合っている模様です。さりげなくこういう会話を登場させることでリアリティーを高めているんですね。

 今回の『シン・ゴジラ』は、全篇に亘ってシミュレーション描写を繰り広げた作品です。シミュレーションの対象は、主に政治、自衛隊、国際情勢の3点です。順番に見ていきましょう。

 まずは政治です。東宝特撮映画において、危機的事態に対して内閣がどう対応したかという点は何度も描かれてきた要素です。 例えば昭和59年版『ゴジラ』( 本篇監督・橋本幸治、特技監督・中野昭慶)は『シン・ゴジラ』以前の怪獣映画で唯一、日本政府を主役に据えた映画でありました。

 そうした中で、政治を描いた東宝特撮映画として本稿で取り上げたいのが『日本沈没』(本篇監督・森谷司郎、特技監督・中野昭慶)です。
樋口真嗣監督は少年時代にこの映画を鑑賞し、「魂の故郷」と呼んでおり、庵野秀監督のアニメ『トップをねらえ!』では『日本沈没』の空撮場面と字幕を再現した場面があります。 『日本沈没』は首相が主要登場人物であったことから、日本列島沈没という大変な事態に対して日本政府がどう振る舞うかを描いた要素もあります。日本政府が対応した相手は他国政府であったり、マスコミであったり、野党であったり、与党内部であったりしました。首相がマスコミ経営者を一堂に集めて今後の方針を伝える場面がありましたし、台詞のみではありますが野党党首とも会談したそうです。

 また、首相は海外での知名度の高い閣僚を揃えるために内閣の大改造をやろうとしますが、「幹事長がどう言うか」と言われてしまいます。日本列島沈没という大災害に対して、与党内のバランスに配慮しないと立ち向かえないのですね。この辺りの皮肉は『シン・ゴジラ』にも継承されています。

 因みに『シン・ゴジラ』には大勢の人々が疎開する場面がありましたが、『日本沈没』にも人々が国外へ移住する場面があり、『シン・ゴジラ』の作り手が『日本沈没』に敬意を表していることが伺えます。

 さて、『シン・ゴジラ』ですが、本作の主人公は長谷川博己演じる内閣官房副長官・矢口蘭堂です。ゴジラ出現という緊急事態に対処する官房副長官。私はこの人選は、東日本大震災後の日本で製作されたという世相を反映しているように思います。
東日本大震災という大災害に対処するため、官僚を使いこなす能力を持った人物が地震発生後の3月17日に官房副長官に就任しています。その人物とは仙谷由人です。『シン・ゴジラ』において、官僚達に指示を下す政治家として官房副長官が主人公に選ばれたのは、東日本大震災を経験した時代に製作されたという時代背景を象徴しているように思います。
 ついでに言うと、『シン・ゴジラ』には東日本大震災後に話題となった事柄が幾つも劇中に取り入れるられています。人々が放射線の値に注目してインターネット上に書き込んだり、私有財産の問題が取り沙汰されたり、といった具合です。

『シン・ゴジラ』場面カット

 次に自衛隊について見ていきます。過去のゴジラ映画で自衛隊の動きをシミュレートした作品と言えば『ゴジラVSビオランテ』(平成元年、本篇監督・大森一樹、特技監督・川北紘一)があります。この作品は、ゴジラが出現した場合、自衛隊がゴジラの進行方向をいかに予想し、戦力を配置するかという戦術をシミュレートしたものです。

 ところで、自衛隊を含む公務員という者は、法律の条文に基づいて行動しています。このことを非常に分かりやすく描いた映画が、平成25年の東宝SF映画『図書館戦争』(監督・佐藤信介、VFXスーパーバイザー・神谷誠)です。この映画は架空の公務員を描いた作品で、本を検閲する公務員と、図書館を防衛する公務員が銃撃戦を繰り広げる作品となっているのですが、戦う前に法律の条文を読み上げており、公務員の行動原理を非常に分かりやすく描いています。劇中のやり取りはこんな具合です。

検閲する側「メディア良化法第3条に定める検閲行為を執行する。」
防衛する側「図書館の自由法第33条に基づき拒否権を発動する。」
検閲する側「メディア良化法第8条に基づき強制回収権を発動する。法務大臣による銃器等使用許可も出ている。」

 自衛隊も当然、法律に基づいて活動していますから、怪獣映画で怪獣と戦う自衛隊には法的根拠がある筈です。そのことについて、公の場所で見解を発表した有名人がいました。当時、話題になったので覚えていらっしゃる読者も多いと思いますが、それは石破茂防衛大臣(当時)です。石破防衛大臣は平成19年12月20日の記者会見で、映画の中で自衛隊がゴジラやモスラに対して出動する法的根拠は何か考察したのです。石破防衛大臣は「これは災害派遣でしょう。要するに天変地異の類ですから」と推測しました。 翻って『シン・ゴジラ』は、画面一杯に法律の条文が表示され、自衛隊がゴジラに対して出動する法的根拠は何か、という議論が描かれました。現実世界にゴジラという虚構の存在が出現したらどうなるのかをシミュレートした本作の面目躍如です。

『シン・ゴジラ』場面カット2

 3点目は国際情勢です。日本に最も影響を与える国と言えばアメリカでしょう。日本はそのアメリカと日米安全保障条約を結んでいます。では日本に怪獣が出現したら在日米軍はどうするのか?かつて怪獣映画の作り手はその点について思案したことがありました。その映画は昭和36年の東宝映画『モスラ』(本篇監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二)です。この映画ではアメリカという実名は登場せず、架空の国名になっていますが、モスラ幼虫は横田基地を襲撃して在日米軍の動きを封じました。しかし結局、在日米軍は自衛隊に原子熱線砲という超兵器を貸し出し、自衛隊はこの原子熱線砲でモスラの繭を攻撃しました。

 過去の怪獣映画ではアメリカ人はよく出てきましたが、アメリカ政府や米軍がストーリーに絡むことはあまりありませんでした。しかし『シン・ゴジラ』ではアメリカ政府と米軍が積極的に介入してきます。更にアメリカを含む国際連合が、核兵器を撃ち込んでゴジラを退治しようとするのです。過去の怪獣映画では、設定上、国連が登場することはありましたが、国連はあまりストーリーには絡んでいませんでした。例外は昭和43年の大映映画『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』(監督・湯浅憲明)で、地球の征服を企む宇宙人・バイラス人によって日米の少年計2人が人質になった為、国連はバイラス人への降伏を決定します。

 『シン・ゴジラ』では国連が核兵器でゴジラを退治しようとしましたが、過去の怪獣映画でも大国が日本に核兵器を撃ち込んで怪獣を退治することを検討した映画が幾つかありました。例えば、昭和42年の松竹映画『宇宙大怪獣ギララ』(本篇監督・二本松嘉瑞、特撮監督・池田博)。アメリカが原爆でギララを退治することを検討しますが、太平洋戦争中に日本に原爆を落とした後ろめたさがあるので、結局アメリカはギララに原爆を使用しませんでした。

 続いてご紹介するのが昭和59年版『ゴジラ』です。本作ではアメリカとソ連が、日本に出現したゴジラを宇宙からの核ミサイルで退治することを決定。両国の特使が日本の首相に通告します。統幕議長は米蘇が実験をしたがってると警戒。首相は、「我が国には非核三原則というものがあります。今度の場合にもそれを遵守したいと思います。」と述べて核ミサイルの使用を拒否しますが、米蘇の特使は納得しませんでした。これに対し、首相は米蘇両首脳と電話会談を敢行。次のように訴えます。

「もしあなた方の国、アメリカとソ連にゴジラが現れたら、その時あなた方は首都ワシントンやモスクワでためらわずに核兵器を使える勇気がありますか 。」

 この説得により、米蘇両首脳は核ミサイルでゴジラを退治することを諦めるのでした。これに対して『シン・ゴジラ』は、昭和59年版『ゴジラ』とは逆の台詞が登場します。

『シン・ゴジラ』場面カット3

 『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』『宇宙大怪獣ギララ』と『シン・ゴジラ』を見比べると、『バイラス』『ギララ』の国際政治は人情味に溢れているのに対して、『シン・ゴジラ』の国際政治は冷徹であるようです。何しろ『バイラス』ではあの国連安全保障理事会常任理事国が子供2人の生命を守るために降伏し、『ギララ』ではアメリカが日本に原爆を落としたことを申し訳なく思っているんですからね。それに対して『シン・ゴジラ』は国際政治の厳しさを観客に突きつけています。但し、ここで言う人情味の度合いは相対的なものであって、『シン・ゴジラ』に登場する米軍にも人情味はありました。

 『シン・ゴジラ』のストーリーに関する話は一旦ここで置きまして、『シン・ゴジラ』が過去の作品に捧げたオマージュについて1点だけご紹介したいと思います。『シン・ゴジラ』でゴジラが初上陸する場面でゴジラが襲った品川の八ツ山橋鉄橋は初代ゴジラが襲った場所でもあります。現地に立っている案内地図にはご丁寧に「ゴジラ上陸地点」と書かれています。ここで言うゴジラとは初代ゴジラのことです。

品川

 以上を纏めると、『シン・ゴジラ』とは、昭和36年の『モスラ』、昭和48年の『日本沈没』、昭和59年の『ゴジラ』、平成元年の『ゴジラVSビオランテ』といった特撮映画で描かれてきた、「現実にはあり得ない出来事が発生したら実在する組織はどのように対応するのか」というシミュレーションを、東日本大震災で我々が経験した現実の上で繰り広げた作品だと言えるのではないでしょうか。

<参考資料>
樋口真嗣・責任編集『テレビランドカラーグラフデラックス2 平成ガメラスペシャル』1995年、徳間書店
テレビ番組『トップランナー』1999年、日本放送協会
防衛省
映画『シン・ゴジラ』

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(文:コートク)