【建物萌の世界】第16回 「ニュー」が物語るハマの迎賓館こんにちは。様々な建物や街並に萌える「建物萌の世界」でございます。梅雨の6月。個人的にはダービーにロイヤルアスコットと、イギリス競馬が最も華やかな月という印象がありますが、世間一般ではやはり「ジューンブライド」ですよね。元々6月(ジューン)の元ネタである、ローマ神話で女性の婚姻をつかさどる女神ユノー(ジュノー)にあやかった欧米の民俗なんで、日本の気候では結婚式に不向きな感じもありますが、やはり結婚式の件数は増えるようです。


今回は、そんな結婚式でも人気のある建物に行ってみましょう。

横浜、山下公園の向かいに建つ風格あるホテル。今回ご紹介する「ホテルニューグランド」です。ドリアやスパゲッティ・ナポリタン、プリン・ア・ラ・モード発祥の地としても知られていますね。

山下公園前に建つホテルニューグランド

1927(昭和2)年、渡辺仁の設計により完成したこの建物。ネオルネッサンス様式の外壁上部には、その完成年を記したレリーフがあります。設計者の渡辺仁はこの後、東京の第一生命館と農林中金ビル(現在は複合されてDNタワー21)、東京国立博物館(本館)や銀座の象徴となっている「4丁目の時計台」こと和光(旧服部時計店)など、昭和初期を代表する建物を次々と設計していきます。

外壁上部にある、完成年を記したレリーフ

正面のいちょう並木など、歩道の植栽との調和も素敵で、ちょっとこの一角だけ外国のよう。1階にあるカフェでは、かつてオフコースのレコード「めぐる季節」のジャケット写真が撮影されています。その他にも映画『THE有頂天ホテル』やドラマ『華麗なる一族』『南極大陸』など、多くの映像作品のロケにも利用されています。「画になる」ホテルですね。1992(平成4)年に横浜市の歴史的建造物、そして2007(平成19)年には経済産業省の近代化産業遺産に認定されました。

ヨーロッパのクラシックホテルを思わせるたたずまい

さて、中に入ってみましょう。正面から入ると目の前にデンとあるのは、このホテルの象徴である大階段。

ホテルの象徴、大階段

天井高のある2階ロビーへと続く階段は、クラシックな風格をたたえています。手すりなどに使われているタイルはイタリア製のスクラッチタイル。実に立派なのですが、入り口からの距離がほとんどないので、1階部分を見下ろすと結構窮屈だったりします。入り口の自動ドアも正面から出入りするものではなく、かつてあった回転ドアのシリンダー部分を利用して、壁面と平行(つまり、横向き)に入るような構造になっています。

入り口からのスペースは狭く、ちょっと窮屈な印象

だからこそ、入った時の空間の広がりがドラマティックだとも言えるのですが……。大階段は開業時からホテルの顔として認知されており、昔の従業員を紹介するパンフレットの写真も、ここで撮影されていたりします。

もちろん、今でもホテルを代表する撮影スポット。結婚式の記念写真では、ホテルの方が「マストです」と語るほど大定番の場所で、ここで写真を撮れるから式場を決めた、というカップルもいるほどです。

結婚式の記念写真では大定番

ここで結婚式を挙げた有名人カップルといえば、古くは松任谷正隆さんとユーミン、最近では「ゆず」の北川悠仁さんと高島彩さんらが知られていますね。

2階ロビーへと歩を進める前に、ここで少し、ホテルニューグランドが建てられたいきさつをご紹介しましょう。

この辺りはかつて外国人居留地でした。明治時代には外国人向けにいくつかのホテルがあったのですが、その中でも代表的なものが「バンド(Bund)」と呼ばれた海岸通りの角地(現在の「横浜人形の家」がある場所)に建つ、イギリス人経営の「グランドホテル」でした。ところが関東大震災でグランドホテルは倒壊し、無くなってしまいます。この他にあったオリエンタル・パレスホテル(現在ホテルニューグランドのある場所に建っていた)なども倒壊し、発生したガレキでフランス波止場周辺を埋め立てたのが、現在の山下公園ですから、かなりの被害だった(横浜の建物被害率は95%)ことがうかがえます。

当時外国との行き来は船であり、国際港である横浜は「日本の玄関口」として外国人を迎える場所でもありました。震災からの復興の過程で、外国人専用のホテルは必須だったので、土地と建物は横浜市が提供し、経営(オペレーション)は原富太郎(三渓)らを中心とした横浜財界人の手による、いわば第3セクターのような形でホテルを作ることになりました。原富太郎は、横浜の観光名所「三渓園」を作った人物です。三渓園は明治時代に作られた、各地から移築した古建築を集めた日本庭園で、日本における建築博物館の元祖のような存在ですね。

新しいホテルの名称は市民から一般公募されたのですが、多く集まったのが「グランドホテル」というものだったとか。当時の市民にとって、グランドホテルは横浜の象徴だったんでしょうね。その意見をくんで、資本も従業員もグランドホテルとは関わりがないのに、ホテル「ニュー」グランドと名付けられたのでした。ちなみに開業に尽力した原富太郎ですが、現在でも原家はホテル運営に携わっています。

外国人賓客用として開業したホテルニューグランド。戦前にはイギリスのグロースター公ヘンリー王子(当時の国王ジョージ5世の第3王子)や、チャップリン、ダグラス・フェアバンクスといったスター俳優、そしてベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグらを擁したメジャーリーグオールスターズもここを利用しました。中には1937(昭和12)年に締結された日独伊防共協定を記念した晩餐会も開かれています。ホテルに残された資料には、出席者とメニュー、そして海軍軍楽隊の演奏曲目などが記されています。

日独伊防共協定締結記念晩餐会のしおり

2階のロビーは、ネオルネッサンス様式の外観とは打って変わって、東洋的なムードに包まれています。これは元々外国人専用として建てられたからで、訪れた外国人が「エキゾティックなオリエンタルムード」を感じられるように……との演出です。完全な純和風でないのは、当時の(特に欧州航路の)寄港地はインドから東南アジアにかけてだったので、そこで味わったであろう雰囲気をスムーズにつなげる意図もあるのかもしれません。「日本の玄関口」ならでは、というところでしょうか。エレベータ横にあるカウンターは、現在は宴会場のクロークなどに利用されていますが、かつてはここがホテルフロントでした。

東洋的ムードがただようロビー

エレベータ上部にある天女図は、帝室技芸員の川島甚兵衛(川島織物)によるつづれ織。1991(平成3)年、駐車場があった隣の敷地に新館(ニューグランドタワー)を建設した際に実施された大改装(1992年完了)で、製造元である川島織物(現:川島織物セルコン)によってきれいに修復されました。

川島甚兵衛によるつづれ織の「天女図」

エレベータ周りの石彫といい、天井部分の漆喰細工といい、日本的なデザインの基本は奈良時代の寺院建築をモチーフにしていますね。天井から下がる照明器具も、東大寺などで見られる釣灯籠のようなデザインです。

釣灯籠を模した照明器具

照明の底部は双つ巴の紋、そして透かし部分には麻の葉模様(魔除けの効果もある)が入っていて、細かい仕掛けがうかがえます。

ところでロビーは、この石の柱と漆喰細工が特徴的な大階段・フロント周辺と、少し奥まったところにあるラウンジ的な部分とに分かれています。こちらはヨーロッパ的な雰囲気。外国人が落ち着けそうな空間です。

マホガニーの柱と横浜家具が並ぶ

柱はマホガニー製。並ぶ調度品のほとんどはホテル開業時からの「横浜家具」で、主に元町にあった三光家具製作所(富澤市五郎)によるもの。富澤市五郎は「国産西洋家具のはしり」とされる横浜家具の長い歴史の中でも、中興の祖とされる人物で、家具デザイナーとしても活躍しました。その中でも代表的なのが、奥に置かれた「キングチェア」と呼ばれる2脚の椅子です。

横浜家具の傑作・キングチェア

肘掛け部分に刻まれた天使や、脚部の畳摺りなどいたる所に施された彫琢(エンリッチメント)が美しい優品です。

こちらのラウンジ的な部分でも東洋趣味は健在で、柱に付けられた灯具を見ると、ろうそくを模した電灯に、琵琶を抱えた弁天の浮き彫りがなされています。振り返ると欄間に相当する壁の部分に、インドの寺院にありそうな漆喰細工も。

弁天の彫刻が施された照明 壁にはインド風の漆喰細工

インド風の漆喰細工は、ほぼ裸体の女性が踊るモチーフになっている為、戦後進駐軍に将校宿舎やクラブとして接収された際に「わいせつだと言われて撤去を命じられるんじゃないか」と危惧されたそうですが、関係者の努力で撤去を免れたというお話もあるそうです。総司令官のマッカーサー元帥は新婚旅行を含めて戦前に数回宿泊経験があり、厚木飛行場に到着した際も真っ先にこのホテルニューグランドへ向かったといいますから、思い入れの深い建物だったのかも知れません。その後執務した東京の第一生命館も渡辺仁の設計ですから、この共通点も面白いところです。

ホテルとしての宿命か、1992(平成4)年に完了した全面改装工事や、2004(平成16)年の改装工事など、たびたび行われた改装によって、客室など多くの部分が開業当時と変わってしまいました。マッカーサーが執務した315号室、通称「マッカーサーズ・スイート」も、かつてはもっと広かったそうです。現在往時の雰囲気をしのべるのは、2階ロビーの一部と宴会場「レインボールーム」と「フェニックスルーム(旧メインダイニング)」、そして5階レストランの廊下と階段等のパブリックスペースに限られています。ロビー奥にあった電話室など、レトロで素敵だったのですが、これも改装時に失われました。

現在5階廊下には、開業当時のままの壁面が残り、かつてのホテル内装をしのばせています。ここにも織物による壁画がありますが、これは開業当時のものではなく、比較的新しいものだとか。横長のスクラッチタイルが独特です。

創業時の様子を残す5階廊下 飴色の横長スクラッチタイル

階段も、床のタイルに施された滑り止めの模様や、手すりの曲線が美しいですね。上り下りすると当時の雰囲気を味わえます。

エレベータ脇の階段室 客室階とロビーをつなぐ階段

1952(昭和27)年に進駐軍の接収が解除になり、営業が再開された後も、東京オリンピック頃までは宿泊客の7割が外国人だったといいますから、外国からの賓客用として定着していたんですね。ホテルの方によれば1970(昭和45)年の万博を境に日本人の利用が増えたそうですが、現在でも半分まではいかないものの、外国人の利用も変わらず多いそうです。今も「ハマの迎賓館」として健在のホテルニューグランド。ロビーで往時に思いを馳せながら、港を眺めるのも一興です。

玄関には外国からの観光客を迎える旗が掲げられている

(文・写真:咲村珠樹)